(深澤儀太夫祭(概要報告) 日時:2023年4月13日11時00分〜12時00分 場所:(大村市東野岳町、野岳湖畔にある)儀太夫記念館 主催:野岳大溜池水利組合(のだけ おおためいけ すいりくみあい) 参加:目測で来賓・主催者・組合員・関係者の合計は約60名 注1:掲載写真は順不同。上部からの順番は何の意味もない。<関係ページ> ・(全国ため池百選の)「野岳大溜池(野岳湖)」 ・(大村の偉人・有名人・活躍人シリーズ)「深澤儀太夫勝清」 ・(上野の講話)「2019年1月22日、福重小学校4年生へ、深澤儀太夫について」 ・(上野の説明)「2022年10月28日、鎮西学院大学生(CSL)クジラ関係調査(概要報告)」 式次第 (下記の通り) 令和5年度 深澤祭典式次第 一、開式の辞 一、神事 玉ぐし奉奠 一、主催者挨拶 一、深澤家挨拶 一、来賓挨拶 一、祝電披露 一、来賓紹介 一、閉式の辞 一、餅まき 主な内容 注意:下記内容は、撮影者の上野の記憶やメモ書きの範囲内であるため、大きな不足や内容違いも一部あると思われる。そのため、あくまでも、参考程度に閲覧願いたい。 神事-----最上部の写真参照。(内容は省略) 主催者挨拶 (上から3番目写真参照) この祭りは、深澤儀太夫の多くの業績、遺徳を偲ぶとともに、これから引き継いでいくことにある。今朝も長安寺に行って墓参りをしてきた。新型コロナ関係で、ここ3年間、少人数で神事のみをおこなってきた。久しぶりに来賓者も迎えて、この祭りができている。これからも野岳大溜池の管理を続けて、深澤儀太夫の大きな遺徳を受け継いでいきたい。 深澤家挨拶(ご子孫の手紙の紹介) 今回は、ご都合で出席できなかった深澤家ご子孫2名よりの丁重な手紙の紹介があった。(その内容は、省略) 来賓者の挨拶 来賓挨拶は、大村市・副市長の山下氏、大村市議会議長の村崎氏、長崎県議の小林氏、松本氏、牧山氏からあった。私の記憶力や能力では、その概要さえも書いて紹介できない。しかし、特徴的な内容や共通していた事柄については、主に次のことを述べられたと思う。 1、深澤儀太夫勝清は、私財を投げ打って野岳大溜池(野岳湖)をはじめ多くの業績を残された偉大な方である。 2、その遺徳は、300年以上続いていて、灌漑施設としての野岳大溜池だけでなく、今では観光、スポーツ、文化面にも大きな影響が出ている。 3、大村市内の小学校では、この深澤儀太夫について勉強や研究もしているほどだ。 4、漏水防止などのための堤防改修工事(平成の大工事)では、地元よりの大きな要望事項も実現した。この工事の後、野岳大溜池(野岳湖)は満々たる水を溜めて活用されている。 5、これからも野岳大溜池水利組合の方で、深澤儀太夫の遺徳の継承と、ますます発展されんことを願っている。 餅まき まず、来賓の方々は、餅の入った箱を持って並ばれた。そして、主催者の掛け声とともに、参加者の方に向けて一斉に元気良く餅をまかれ、最後は大きな拍手にて今回の祭りは、終了した。 今回の深澤儀太夫祭に参加された全員の皆様、お疲れ様。 ------------------------------ <上野の補足と感想> 冒頭や下記の関係リンク先ページでも紹介や、上野が講話している通り、初代の深澤儀太夫勝清は、九州における鯨取りの草分け(先駆者)であった。それで得た巨万の富を、江戸時代の大村藩の要請に応え、野岳大溜池(野岳湖)を始め平床堤、円融寺、長安寺、宝円寺、大村本陣、江戸の大村屋敷、藩への軍用資金など数えたらキリがないほどの公共工事を私財投げ打ってされた方である。 また、この事業は、その当時だけでなく、現代でも野岳湖畔周辺は、灌漑施設や防災効果だけでなく、春夏秋冬1年通じて観光、スポーツ、商店や新茶祭りなどの経済効果をも生み出し続けている。また、亡くなれて360年以上経っても、その遺徳を偲んで地元の方々が、深澤儀太夫祭を開催されている。そのような例は、長崎県下で聞いたことがないほどである。現代人にも、いかに慕われているか、あるいは県内でも最大級の偉人と思われる。 今回、私は久しぶりに深澤儀太夫祭の撮影をした。改めて深澤儀太夫の遺徳の大きさを感じた。また、野岳大溜池水利組合の日々のご労苦と、ご努力にも心より敬意を表したい。 ------------------------------ 関係ページ: ・(全国ため池百選の)「野岳大溜池(野岳湖)」 ・(大村の偉人 有名人 活躍人シリーズの)「深澤儀太夫勝清」 ・(上野の講話)「2019年1月22日、福重小学校4年生へ、深澤儀太夫について」 ・(上野の説明)「2022年10月28日、鎮西学院大学生(CSL)クジラ関係調査(概要報告)」 (掲載日:2023年4月14日)