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福重の写真集 その674
2024年、(野田町の)本蔵権現の御神待ち(概要報告)
本蔵権現御神待ち子ども相撲の終了後の記念写真(2024年11月3日撮影)
 子ども相撲
全ての行事が終わり野田公民館にて、 直会(なおらい)=食事会

(野田町にある)本蔵権現の御神待ち立(おかみたち、大村弁:おかんたち)(概要報告)
日時:2024年11月3日
08時00分〜09時30分 14時030分〜17時30分、場所:大村市野田町、本蔵権現 、野田公民館全体参加数:目測で約40(子ども13名、締め元班の大人など)
 注1:このページ掲載写真は順不同で上からの順番には何の意味もない。
 注2:
毎年、本蔵権現の年間行事は大体同じであっても、各担当の締め元(しめもと)班によって若干違う場合がある。

 野田公民館の掃除中
 本蔵権現周囲の枝などをチェインソーで伐採中
子ども相撲のため土俵の準備中
御幣(ごへい)の完成
子ども相撲、女の子ガンバレ

用語解説:
 この御神待ちは、先に紹介中の御神立ちの反意語です。今まで大村歳時記シリーズをご覧になっておられない方は、先に御神待ち紹介ページを参照願います。この神待ちは、先におこなわれる御神立(おかみたち、大村弁:おかんたち)の数週間後に通常の場合開催されます。先の両行事は、神無月(かんなづき)関係行事と関連がある。神無月ついて、国語辞典の大辞泉には、次の< >内(青文字)などが書いてあります。また、国語辞典とは別の補足部分も、参照願ます。

  神無月(かんなづき)=陰暦10月の異称。語源については、全国から神々が出雲大社に集まるため、諸国に神がいなくなる月の意からという俗説が古くからいわれている。別に、新米で酒をかもす「醸成月(かみなしづき)」、あるいは雷の鳴らない「雷無月(かみなしづき)」の意ともいわれるが、「な」は「の」の意で、神を祭る月すなわち「神の月」の意とする説が有力>

 先の国語辞典通り、俗説・通説によれば全国に沢山いらっしゃる神様が陰暦10月に出雲大社に集まられるので、各地から「神様が旅立ちされる日=” 御神立”」という訳である。そのようなことと、この本蔵権現の御神立が先にあり。その後、出雲大社から帰られた時が御神待ちとなります。どれも長い歴史のある行事です。

・関係ページ:「御神待ち 」「御神立
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主な内容
 野田町の今回担当=締め元(しめもと)班が野田公民館と「本蔵権現」に集まり、まずは簡単な打ち合わせをして作業に入りました。女性陣は、主に公民館の掃除と食事などの諸準備でした。

 男性陣は、「本蔵権現」の拝殿内や、周囲の山林の枝払い。草払いや境内の掃除でした。また、同時進行でサカキの交換 、お神酒 、御幣の交換などもおこないました。それらが終わった後、15時から予定の子ども相撲のため、簡単な土俵造りでした。そして、朝の作業が終わり一旦、自宅に戻りました。14時30分、再度の集合で、子ども相撲や直会(なおらい)準備作業がありました。

 子ども相撲の時間となり、まずは参加・見学者全員で、本蔵権現へ新鮮な気持ちで、二礼二拍手をおこないました。その後、子ども相撲となり、男の子・女の子同士、勝ち抜き戦など、何番も取り組みが進みました。また、可愛い子ども達の相撲に、大人達からは、熱心な応援がありました。このような本蔵権現の境内や森で、子ども達の歓声が響き渡るのは、年1回のことでした。

 その後、野田公民館に場所を移して、直会(なおらい)食事会でした。まずは、相撲で頑張った子ども達に景品のプレゼントがありました。後は、懇親を兼ねての飲食でした。最後、全員で後片付けをして終わりとなりました。参加された皆様、早朝から、お疲れ様でした。

関係ページ:「本蔵権現」 、 「本蔵権現の石祠」 、「本蔵権現の立て直し、安全祈願」 、「本蔵権現、建て替え工事、地鎮祭」 、 「本蔵権現周辺の階段造りや整備作業」 「本蔵権現の御神立(おかみたち)」 「御神待ち(おかんまち)



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