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大村の馬頭観音

沖田の馬頭観音
沖田の馬頭観音

沖田の馬頭観音のデータ

 (1)石仏名称 沖田の馬頭観音(おきた の ばとうかんのん)
 (2)所在地 大村市沖田町(沖田公民館より北北西へ60mの市道脇)
 (3)本体の大きさ 高さ54cm、横幅26cm、胴囲83cm
 (4)土台の大きさ 高さ19cm、横幅37cm、周囲133cm
 (5)制作年代  (不明)
 (6)主な特徴  (基本形は)一面二臂
 (7)特徴点の補足  という文字は視認できる
 (8)感想、その他  全体に摩耗が激しい

 本体下部にある碑文:(次の太文字)   馬 一 ?? (注:?は不明文字) <注:他にも碑文はありそうだったが、拓本作業しても分からなかった>

・上記の現代語訳: (碑文で判明しているのは数文字しかないが)は馬頭観音の意味である。 (他は不明)

  左側写真説明:馬頭観音の中央部下部(平たい部分)に文字がある。写真右側から奥側へ市道が走っている。馬頭観音の左側は畑である。写真奥側(西側)方向が郡川方向となる。写真手前側50m位に沖田公民館がある。

<補足説明>
 沖田町は、縄文・弥生時代頃より人が住んでいた。そのため、町内どこの屋敷や田畑からも、「掘れば遺跡あり」と言うくらい発掘される地域である。当然、穀倉地帯で古代の沖田条里制遺構が、現在も碁盤の目のような整然とした田んぼが残り、農業が営まれている。(右側写真は前景に沖田町の田んぼ、後景が郡岳である)

 そのような地域性からして、馬が農耕の主力だった頃、馬の守り神様あるいは亡くなったら供養塔の意味合いで、この沖田の馬頭観音が建立されたのは自然の流れだった。しかし、残念ながら建立年が不明なことで、それらは碑文に彫っていないばかりか、地元の高齢者に聞いても、地域伝承も残っていないようである。

 ただし、その高齢者の方々から、「(いつ頃の建立か分からないけれど)昔から祀ってきた」との話を聞いたので、仮にどんな新しい年代と推測しても戦前には変わりないと思われる。

工事前沖田の馬頭観音(2011年10月23日撮影)
工事後沖田の馬頭観音(2018年10月8日撮影)
 この沖田の馬頭観音の所在地は、上記データ表にも書いているが、沖田町公民館から北北西へ約60mほど行った市道脇であるので、容易に見つけやすいと思われる。この道路脇にあるということは、馬頭観音の場所としては、全国共通した特徴とも言える。

姿形について、長年の雨などによって摩耗が激しいため正面全体の格好が分かりにくいが、他の馬頭観音と全体の形は似ている。ただし、大村市内に多い三面六臂の造りと違って、一面二臂のように見える。 碑文は、本体の蓮華座下部にあり、一部視認できる状態である。この馬頭観世音について、何かの古記録が見つかれば、このページは改訂、追加もしたいと考えている。

周辺整備
 まず、上から3番目と4番目写真を参照願いたい。この3番目写真でも分かる通り、従来(工事前)、馬頭観音本体や土台石は、地面もしくは自然石の上にあった。それを(4番目写真参照)、2017年4月におこなわれた工事にて、四角形のコンクリート上部にのせてある。

 そして、本体に向かってコンクリート土台の正面中央部には、馬頭観音を示す馬の絵が描かれたプレート、右側面には石仏名称と工事竣工日を記録した「バトサマH29429」(馬頭様 平成29年4月29日)の文字があるプレートが、はめこまれている。

 なお、この周辺整備の完成祝いは、同年の2017年5月23日に開催されたようだ。このように、地元の方々は、沖田の馬頭観音周囲を綺麗に整備された。(念のため、この工事日と、掲載写真の撮影日とは、全く関係ないので、ご注意ください)

(初回掲載日:2014年6月4日、第二次掲載日:6月5日、第三次掲載日:2018年7月28日、第四次掲載日:2018年12月18日 )

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