現代の新建造物
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板敷櫓(いたじき やぐら) |
中央部が板敷櫓、左下部は南堀、奥側は大村湾、この周辺全体は大村公園 (上記写真は2004年4月2日、東側から撮影) | ||||||||||||
板敷櫓(いたじき やぐら)
注1:「新編 大村市史第二巻 中世編(本件の元々の資料は大村市教育委員会の発掘調査)によれば板敷櫓は、玖島城が1599(慶長4)年に築城されて以来、その存在が無かったものである。(詳細は後記を参照) つまり、玖島城とは、関係のない1992年にできた新しい建造物(展望台みたいなもの)である。
建築年:1992(平成4)年 場所:大村市玖島1丁目(大村公園内) <大きさ> ・高さ:建物の最高部:11.40m (櫓台の石垣の高さは11.7m) つまり、地上面から最高部まで約23mである。 ・2階の屋根の一辺の長さ:目測で南北間が約10m、東西間が約11m(最大幅) ・床面積:1階は77.28u、2階は40.80u 合計118.08u <内外の仕様> ・木造2階建(本瓦葺) ・出窓の数:1階に6ヶ所、2階に4ヶ所、合計10ヶ所 ・石落としの数:1階の南側に2ヶ所 ・壁構造:外壁、内壁は漆喰塗(しっくいぬり) ------------------------------ (後半項目は調査中。。しばらく、お待ち下さい) i緯度経度などについて (この原稿は準備中です。しばらく、お待ち下さい) ------------------------------- なぜ「現代の新建造物(新展望台)」と呼ぶのか ・考古学の視点からも板敷櫓は玖島城の築城以来なかった この項目は、重複しますが本ページ冒頭、<注1:「新編 大村市史第二巻 中世編(本件の元々の資料は大村市教育委員会の発掘調査)によれば板敷櫓は、玖島城が1599(慶長4)年に築城されて以来、その存在が無かったものである。>と書いています。その理由は、この板敷櫓=現代の新建造物(新展望台)を建築される前に大村市教育委員会は、その建設予定地の発掘及び調査をされました。
その結果、全国でも城と関係した各種の櫓(やぐら)の跡ならば必ずと言って良いほど、例えば屋根瓦(やねがわら)、柱石、金具類などの内、何かが出土します。しかし、この板敷櫓建設予定地からは、櫓跡を示す遺物(いぶつ)は出なかったそうです。つまり、板敷櫓は、玖島城が1599(慶長4)年に築城されて以来、その存在が無かったのです。
上側が大村藩領絵図で、江戸時代に大村藩が大村領全体を測量して作図された、ほんの一部分です。(大村領全体の実物は大広間で見るほどの巨大な絵図と聞いている) その年代は、「大村藩領絵図」ページにも書いていますが、この絵図は「従来の1800年頃を中心とした説」より、上野説で数十年か、50年位(1750年)早くできたものと推測されます。 |
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補足
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初回掲載日:2021年1月26日、第2次掲載日:2023年2月18日、第3次掲載日:3月2日、第4次掲載日:2024年3月6日、第5次掲載日: 月 日 |
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