大村の石塔、記念碑、石碑や碑文など |
天正遣欧少年使節400年記念碑 |
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概要紹介 | 掲載中 |
1)碑文内容について | 掲載中 |
2)大きさ、緯度経度など | |
緯度経度など | |
3)------ | |
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まとめ | |
・碑文関係用語解説集ページは、ここからご覧下さい。 |
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注1:この碑の正式名称は、「天正遣欧少年使節400年記念」である。普通、書籍やホームページ類で記念碑などを紹介する場合、「碑」を付けるので、上野も補足して書いている。また、市民の間でも、「遣欧400周年の記念碑」などと呼称もされている。 注2:この「天正遣欧少年使節400年記念」と、既に掲載中の「天正遣欧少年使節顕彰之像」(4少年の像)及び近くにある「天正遣欧少年使節の南蛮船(なんばんせん)モニュメント」などは、三つとも同様の趣旨で同時期の建立と思われる。 なお、(写真1)の右側に写っている説明板(観光案内板)には、天正遣欧少年使節や記念像について分かりやすく内容が表示してある。 注3:遣欧4少年使節の内容(事柄)を書けば何十あるいは何百ページも必要となる。このページでは、あくまでも、「天正遣欧少年使節400年記念碑」の概略紹介であることは、あらかじめ、ご了承願いたい。そのため、往復での出来事、ヨーロッパでの内容や帰国後のことなどは、ほぼ省略している。 |
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概要紹介
そして、「天正遣欧少年使節顕彰之像」や「南蛮船モニュメント」には、詳細な碑文(説明文)がないため、この天正遣欧少年使節400年記念碑が、それを表しているのものと思われます。 |
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1)碑文内容について
このページの(写真1、2、4)の通り、正面(西側)の碑文は、御影石風と思われる加工石に彫られています。そして、先の写真に写っている碑文(原文)は、福田清人先生による縦書きの文と書です。 ただし、今回ホームページ用に横書きの青文字に直し、さらに見やすくするために一部、改行や文節を変えたり、文字間空白も入れています。そのようなことから、あくまでも下記は参考程度に、ご覧下さらないでしょうか。もしも、引用される場合は、必ず本記念碑の碑文(原文)からして下さるように願います。 天正遺欧少年使節讃 天正十年(西暦一五八二年)千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン、伊東マンショは大名 大村純忠、有馬晴信、大友宗麟の少年使節として神父ワリニアーノに伴われ 長崎港を出帆した。ミゲルは純忠の甥、マルチノとジュリアンは大村領に生まれた。 天正一二年ポルトガルを経て苦難万里の旅路の果 スペイン国王 ローマ教皇に謁見し使命を果たすと共に接した人々に その勇気賢明礼節を感銘させ また 日本の存在を強く印象づけた。 日本文化に影響を残す多彩な品々を携え 天正一八年帰国したが 急変した時勢のため逆境にありながらも信念を貫いた。 長崎出発四百年に当たる今年 今は世界の空を結ぶ使節にゆかり深きこの地に その雄図を讃え併せて若き世代にかかる大志の燃え之続けよと念ずる人々この像を建てる。 昭和五十七年九月二十日 文並びに書 福田清人 ----------・・・----------・・・----------
まず、(写真5)を参照願います。この面の中央部から左側にかけて,、天正遣欧少年使節400年記念碑の建立年月日や建立者名などの碑文が彫られています。この写真の通り、碑文は縦書きです。しかし、このページでは、ホームページ上、横書きに変えて表示しています。 また、原文は生かしたいのですが、昔の文字(というより石に彫りやすい省略文字)が使われていたり、パソコン文字で表せない文字もありますので、下記の太文字は、一部変えています。なお、文字間隔、改行や文字並びの表示も原文と違います。 そのようなことから、下記の太文字は、あくまでも参考程度にご覧になり、もしも、引用参照されるならば必ず実物の碑文面から願います。 建立 昭和五十七年九月二十日 天正遣欧少年使節顕彰会 副会長 大村商工会議所会頭 高瀬富夫 同 大村市議会議長 瀬戸敏春 同 千々和町長 床井一郎 同 西海町長 田崎亥十二 同 波佐見町長 福田寛悟 会長 大村市長 戸島英ニ ・この建立年月日について 既に掲載中の「天正遣欧少年使節顕彰之像」 「天正遣欧少年使節の南蛮船モニュメント」には、建立年月日が彫られていません。ただし、「天正遣欧少年使節400年記念碑」については、上記の裏面通りに建立年月日があります。 そして、これらの像・モニュメント・記念碑は、3基一体として造られ、設置されているので3基とも同じ頃の建立年月日と思われます。つまり、3基の建立年月日は、同じ「1982(昭和57)年9月20日」ということです。 |
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2)大きさ、緯度経度など
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