<4つの伝統(郷土)芸能>
福重地区には、現在、4つの伝統(郷土)芸能が踊られています。今回、2ページの資料と映写スライドなどを使って、4つの伝統(郷土)芸能について、主に各踊りの歴史(れきし)や、特徴点(とくちょうてん)を講話しました。下記(かき)からは、その内容(ないよう)です。
4つの伝統(でんとう)郷土(きょうど)の踊り(おどり)とは
1) 寿古踊(すこ おどり)---------寿古町
2) 沖田踊(おきた おどり) -----沖田町
この2つの踊りにプラス黒丸踊も含めて、郡三踊り(こおり3おどり)とよばれている
3)立福寺の龍踊り(りふくじ の じゃ おどり)-----立福寺町
4)今富浮立(いまどみ ふりゅう) -----今富町
4つの踊り(おどり)の歴史(れきし)
郡三踊り<1)寿古踊、2)沖田踊、・黒丸踊>---
500年以上(いじょう)前(まえ)からある踊り
・三踊りとも国重要無形民俗文化財(くに じゅうよう むけい ぶんかざい)---国の宝物(たからもの)みたいなもの
・沖田踊、黒丸踊---ユネスコ世界遺産(せかい いさん)
4)立福寺の龍踊り---1859(安政6)年 (165年前)
5)今富浮立--1925(大正14)年からか?(99年前)
郡三踊りは、よく踊られている
(1)江戸時代(えどじだい)は、玖島城(くしまじょう)だけで、おどられていた。
(2)戦争(せんそう)中の40年間は中断(ちゅうだん)。戦後(せんご)に復活(ふっかつ)した。
(3)大村市の春(はる)、秋(あき)まつりなどで3年ごとに交代(こうたい)して踊られている。
郡三踊りを教(おし)えた人は
・記録(きろく)があるので沖田踊と黒丸踊は、法養(ほうよう)である。
・寿古踊は記録がないが同じ法養といわれている。
*郡三踊りは3つの踊りで一つの踊りともいわれている。
郡三踊りの内容(ないよう)
*くわしくはDVDを見てね。ほぼ共通(きょうつう)しているのは
(1) 道行(みちゆき)からはじまる。
(2) 本踊り(ほん おどり)がある。
(3) 踊り、歌(うた)、楽器(がっき)、まわりの人ふくめてである。
(4) 昔(むかし)は農家(のうか)の長男(ちょうなん)=大人(おとな) が踊っていたが現在(げんざい)は子どもが踊っている。
郡三踊りの楽器(がっき) たとえば沖田踊の場合
・太鼓(たいこ) ・笛(ふえ) ・鉦(かね) など
-------<各踊りの特徴点(とくちょうてん)>-------
寿古踊(すこ おどり)
・郡三踊り(こおり3おどり)の中で、もっとも古い踊りで、ゆったりとしたお祝い(おいわい)の踊り。
・長崎県内(ながさきけんない)でも古い踊りである。
沖田踊(おきた おどり)
・九州では、珍(めずら)しい長刀踊り(なぎなた おどり)
・太刀(たち)、小太刀(こだち)でも、むかいあう
立福寺の龍踊り(りふくじ の じゃ おどり)
・踊り(おどり)の由来(ゆらい)は、この町に昔(むかし)龍福寺(りゅうふくじ)があったので寺名(てらめい)から。
・龍(じゃ)は重たいので大人(おとな)の人が、まわす。
・雨(あま)ごいの意味(いみ)や、豊作(ほうさく)の願い(ねがい)から。
今富浮立(いまどみ ふりゅう)
・浮立(ふりゅう)の順番(じゅんばん)は、ノボリ、サラサ、かけ打ち、笛(ふえ)、大太鼓(おおだいこ)、モラシ、鉦(かね)などがある。
・面(めん)をつけた大人(おとな)、子どもも踊る。
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<質疑応答>
(4つの踊りの録画DVDを見ていない中での下記のQ&Aである。また、質問や答えの重複内容などは、まとめ直して書いている)
Q1:立福寺の龍踊りは、なぜ踊られるようになったのか?
A1:良い質問(しつもん)だ。今は立福寺町と書くが、大昔(おおむかし)龍福寺(りゅうふくじ)という寺(てら)があった。この龍福寺があったので、立福寺の龍踊りが、はじまったといわれてきた。
また、コメ、フルーツ、野菜を育てる農家(のうか)にとって大事(だいじ)なことは、何かな? (「水」との答えあり) その通り。龍(りゅう)は水の神ともいわれ、雨がふるように=雨乞い(あまごい)の踊りともいわれてきた。
Q2:なぜ金色(きんいろ)の玉(たま)を追いかけて踊るのか?
A2:あとで調べて答えたい。(後日、保存会より聞いた補足:「玉は太陽や月を表している言う。雨ごいの踊りなので日照りの時に太陽を龍が飲み込み雨を降らすことであろう」とも言われている)
Q3:楽器(がっき)が、変わった形(かたち)をしているが?
A3:楽器そのものは最初(さいしょ)に踊った当時(とうじ)からあるものばかりだ。たとえば郡三踊りならば500年以上前から形そのものは変わっていないと思われる。今、みなさんが音楽教室で見る楽器が新しい形だから変わったように見えるだけだ。
Q4:その矩(かね)の重さは、何キロくらいあるのか?
A4:この写真(しゃしん)の矩(かね)の重さは、3キロくらいだろう。ただし、大きさによっても、ちがっている。持ってみると、見た目の小ささより、ズシリとする重さではある。
Q5:龍踊り(じゃおどり)で玉を持つ人だけが、黄色(きいろ)服(ふく)を着ているが、なぜか?
A5:龍踊り(じゃおどり)は元は中国から伝わった踊りで、衣装(いしょう)も中国の服装(ふくそう)だ。中国では、黄色の服は皇帝(こうてい、えらい人のこと)しか着てはならないことになっていた。これより、くわしいことは調べてみたい。(後日、保存会より聞いた補足:「玉と一体に見せるために黄色にしているのかもしれない」とも言われている)
Q6:龍踊り(じゃおどり)の龍の長さは?
A6:最長さは測っていないが、この写真に写る体育館の舞台の横幅より大きく、体育館の幅より狭いようなので15メートル位だろう。
Q7:今富浮立の服は、なぜ白色なのか?
A7:最初(さいしょ)から白色だったとおもう。写真の通り、寿古踊は濃い(こい)緑色、沖田踊は黒色である。これは元もと、この色だったので、今も同じなのだとおもう。色の意味(いみ)までは、今となっては分からないだろう。
4年生からお礼
最後(さいご)に、4年生全員から元気な声で、お礼がありました。
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<上野の感想>
歴史(れきし)の授業(じゅぎょう)は、6年生からと聞きました。そのような中で4年生から伝統芸能(でんとうげいのう)の歴史、見慣れない踊り方、衣装などについて、たくさんの質問が出されました。一言でいえば4年生は全員、大変熱心でした。このような疑問(ぎもん)、質問(しつもん)があったことは、今後も調(しら)べていく力(ちから)になると思われます。また、そのようなことから講話している上野自身も、毎回(まいかい)、逆(ぎゃく)に子どもたちに教えてもらっていると感じています。。
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関係ページ
・寿古踊(すこ おどり) 、・ 沖田踊(おきた おどり) 、・立福寺の龍踊り(りふくじ の じゃ おどり) 、・今富浮立(いまどみ ふりゅう)
・2020年、大村秋祭りの寿古踊 、・2021年、大村秋祭りの沖田踊 、・2022年の大村秋祭りの黒丸踊 、・2018年 第100回記念 福重地区敬老会での立福寺の龍踊り 、・2011年 第93回福重地区敬老会での今富浮立