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第2回講座
2003年11月24日開催
・福重の地名について
・地名の成立ちについて
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講座目次

史跡探訪
特別講座
福重郷土史講座、第2回講座の概要
 日時:2003年11月24日19時00〜21時30分 参加者:13名

参加者の自己紹介(各自の紹介は省略しますが、この中で)
 ・「今大村市の100人委員会をしているが、過去の歴史を知る必要があると思って講座に参加している」
 ・「福重は、大村市の隅っこと思っていたが、歴史の話しを聞かせてもらうと、ロマンを感じている」
などの発言もありました。

福重郷土史講座第2回目講演   講師:増元さん(寿古町内会長)
1)福重の地名について
 現在の福重地域には、10町に11町内会がある。地名は最初から福重ではなく、文献に残る古いもので、奈良・鎌倉時代は(現在の松原・福重・竹松さらには大村方面も含めて)彼杵郡(そのぎこおり)と呼ばれていました。その郡の中でも、福重は「本庄(ほんじょう)と言う名前で登場していました。

 江戸時代の地図には、江戸末期前まで
@福重村=現在の寿古、草場・東光寺を含む
A皆同村=皆同、沖田、矢上
B今富村=今富、野田、重井田、立福寺、弥勒寺)でした。
 それが、江戸末期、1814(文化11)年大村藩財政立て直し策により、今富村と皆同村は吸収合併され、『福重村』となりました。

(下図は野田町付近の小字)

2)地名の成立ちについ
 地名の成り立ちには、主に次の二つがあるとのことでした。 

(1)自然に基づく地名=例として、川、島、平などです。

(2)歴史的なことに基づく地名=例として田、園、倉など。「園」は平安時代の荘園跡、「倉」は米倉跡と思わるとのことでした。

 実際、野田町には(右図の赤丸をご覧下さい)「大村田」、「本倉」、沖田町に「蔵の前」の小字があります。 

 また、地名には他の地域から来た名前もあり、「寿古」は、佐賀県白石町須古からのものと言われているとのことでした。

 立福寺町には「二反田」と言う地名が残っていて、これは開拓、開墾して出来た土地で各々に二反づつ分けた名残だと言うことでした。

 この説明を聞いた受講者の方から、「なぜ、”二反田”と言うのか、やっと意味が分かった」などの感想もありました。

(下図は福重町付近の小字)

 また、福重町には「強力」と言う字名があるが、これは昔、郡岳に山伏信仰のような修験場があり、その登山口にこの地域は当り、そこに物資を運ぶ(今で言うポーターのような)「強力(ごうりき)」さん達が住んでいたのではないかと想像されるとの話しもありました。

 皆同町にある「柳町」と言う字名は、平安時代ここに荘園があり、その名残りではないかとの説明もありました。

 以上のように、福重地域の字名は、自然や歴史上の出来事などに基づく名前が多く、実に興味深いと、まとめられました。

(第2回講座報告は、以上)

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