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第3回講座
2003年12月8日開催
・原始時代から古代まで
・奈良、平安時代など
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第3回講座 第7回講座
第4回講座 第8回講座
講座目次

史跡探訪
特別講座
福重郷土史講座、第3回講座の概要
日時:2003年12月8日  19時00〜21時30分
参加者:12名 参加者の中に今回から1名(野田町)新しい方が参加されました。

郷土史講座第3回目講演   講師:増元さん(寿古町内会長)

1)福重の歴史(1)、原始時代から古代
<旧石器時代>
 この時代のものとして、福重地区の近くの『野岳遺跡』(約13000年前)が発掘されています。この時代は、狩猟、採集生活が主で、食料保存ができなくて貧富の差もほとんどなかったと思われます。

<縄文時代>
 大村では岩名遺跡(約7000年から8000年前)が有名で、南九州タイプと言われています。

<弥生時代>
 2300年前から3世紀頃で、農耕・稲作が始まり、穀物の保存が可能となり、貧富の差が出てきてきました。竪穴式住居に住み、集落ができ、力のある者は石棺のある大きな墓も作るようになりました。4世紀頃からの古墳時代の遺跡として、福重地区には今富町の黄金山古墳、(今年度発掘された)冷泉寺遺跡などがあります。

<奈良、平安時代>
 4世紀頃国土統一がおこなわれ、大和朝廷が日本を統一していったと言われています。聖徳太子や大化の改新などを経て国家の仕組みも整い国・郡・里には役人も配置され、土地の公有も進みました。沖田町にはこの当時からある条理制遺構もあります。この時期、彼杵郡(こおり)の役所も福重(現在の沖田町か寿古町)におかれ、県下有数の穀倉地帯で政治・経済の中心地でした。

 しかし、その後平安時代に藤原氏が全盛になり、その藤原氏の配下と言う形で、有力な貴族や寺院などが、役人を入らせず、税金も納めない荘園という仕組みを作っていきました。大村にも郡川左岸方面には仁和寺の荘園が、郡川右岸には東福寺の荘園がありました。

 貴族などは、それらの荘園を守るため最初召使いみたいに武士をおいたのが武士の始まりです。その後段々、力を付け武士団のようになって、鎌倉時代になっていきました。

(彼杵地方の武士)
 当時、(現在の地名の起こりとも言える)大村氏、今富氏、伊東氏、武松氏、今村伊佐早氏、千綿氏、中山氏、時津氏、長崎氏、浦上氏、戸畑氏など。

 伊東氏は日向の伊東氏の一族で松原・郡に百町部を有する語族でした。大村氏は(当時)彼杵荘の御家人「大村氏」(元寇の文書に登場)で、彼杵地方の武士一人に過ぎないと思われ、さらには(現在の佐賀県鹿島市の大村方と言う地名の起こりと思われる大村氏と同一ではないかと言われています。

大村氏系図は江戸時代に偽造
 大村氏の系図は江戸時代、幕府に大村藩が提出した「大村氏系図」が、現在でもそのまま使われています。しかし、この系図上で大村氏の始祖、藤原純友の孫「直澄」は歴史上実在の人物ではなく、994年に四国から大村に下向した史実もない言われています。

 なぜ、このように大村藩によって偽造されたのか、それは(島原の有馬氏を真似て)藤原氏直系と古い家柄を描き出したかったと思われます。

 大村氏のルーツは、元々は(現在の)佐賀県藤津郡から彼杵にまたがる豪族で、他の勢力に押され、本拠地を彼杵地方に移し変えてきたと思われます。寿古町の寿古踊りも佐賀県白石町須古(旧称:須古村)から来ています。

(第3回講座報告は、以上)

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