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第7回講座
2004年2月9日開催
・福重小学校の歴史に
ついて
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第3回講座 第7回講座
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講座目次

史跡探訪
特別講座
1872(明治5)年創立の福重小学校、当時の場所に建てられている記念碑(寿古町の株田)
福重郷土史講座第7回講座の概要
日時:2004年2月9日 19時00〜21時30分 参加者:13名

郷土史講座第7回目講演、講師:増元さん(寿古町内会長)

1)福重小学校の歴史
(上野注:福重小学校の年表ここからご覧下さい)

福重小学校、1872(明治5)年創立(大村市内で最初の小学校)
 福重小学校は1872(明治5)年開校で、大村市内では最初の小学校で、一番長い歴史があります。また、長崎県内でも初期の小学校と思われます。場所は、寿古郷の株田でした。(現在、記念碑が建っています)

最初は松原と一緒、その後分離
 開校当初は、福重、松原共同の学校でしたが、1873(明治6)年松原村独立に伴い分離され、松原小学校(現在地)に開校されました。

口頭試問を経て卒業
 小学校は、下等(4年間)、上等(4年間)とも、年度ごとに口頭試問が行われ、合格したらそのたびに卒業証書(例:下等小学六級卒業など)が授与されていました。その等級は、半年間で一つひとつ上級し、その時期は毎年、5月と11月でした。卒業証書の一連番号により、1873(明治6)年から30年間で314人(1年間で10人位)が、卒業しています。

郡高等小学校について
 福重、竹松、松原、萱瀬の4村共同で1898(明治31)年に竹松村内に郡高等小学校が開校されました。1912(明治45)年、各小学校に高等科が開設されたため、この郡高等小学校は解体されました。

通知表と心得について
 生徒心得の中には、こと細かく書かれてあり、中には方言そのままに書かれている項目ありました。「帯は結べ」など、当時の服装からの注意事項が書かれ、時代の反映と言えます。通知表には、懲戒(怒られた)回数の欄もありました。

重井田分教場跡の記念碑

重井田分教場について
 重井田郷から通学するのは道路事情から、当時なかなか困難でした。道路が整備されるまでと言う限定で、重井田郷(現在:重井田町の『月光の里』近く)に分教場が1928(昭和4)年から1937(昭和12)年の間、おかれました。先生は一人で、荒瀬郷からの出勤でした。(現在、この重井田分教場跡地には記念碑が建っています)

福重飛行場開設に伴なう移転
 1944(昭和19)年に福重飛行場ができたため、学校が矢上郷(現在地。福重町)移転させられました。

明治時代の教科書について
 1877(明治10)年頃の教科書はフランス語直訳で、難しい内容でした。しかも、国語一冊で理科、算数、地理なども教えていました。もちろん、石板や帳面などもない時代で、寺子屋風の教え方と思われます。

(第7回講座報告は、以上)

福重小学校、年表
1872(明治 5)年 福重小学校創立。明治5年の学制公布を受け、大村で最初の小学校開校。福重・松原共同して寿古郷株田の福重村庄屋跡(現前川さん宅)に設立。児童数8名
1873(明治 6)年 2月19日 福重小学校、公式開校。児童数48名(男43、女5)
1873(明治 6)年 松原が分離し、同年10月に松原小学校を開校。
1879(明治12)年 立福寺郷に分教場を設けたが、間もなく廃止。
1886(明治19)年 4月   福重学区尋常福重小学校と改称。(尋常科4年まで)
1890(明治23)年  福重尋常小学校となる。
1891(明治24)年 9月 郡川の洪水で寿古郷にあった小学校、村役場ともに流失。
新校舎できるまで、今富郷の民家を改造して仮校舎とした。"
1893(明治26)年 9月  皆同郷城ノ前(福重住民センターの前)に校舎新築し移転。
1898(明治31)年 竹松に郡(こおり)高等小学校を設立。尋常科の上の高等科で、竹松、福重、松原、萱瀬の4村共同。
1908(明治41)年 4月 義務教育年限(4年から6年へ)延長。児童数増加のため、2学級を郡高等小学校内に置く。
1912(明治45)年 3月

高等科を併設し、福重尋常高等小学校と改称。郡高等小学校を廃止し、同校通学の児童を復帰させたため、校舎狭く全児童の収容ができず、村役場の1室を借りて授業。"

1912(大正 元)年11月

校舎新築。 校地714坪、建坪237坪、先生7人
尋常科児童 男130人、 女140人、 6学級
高等科  男 24人、 女 11人、 1学級"

1915(大正 4)年現在

福重村内に学校卒業生  男268人、 女247人
高等小学校卒卒業生 男142人、 女 30人
中学校卒業生        5人

1929(昭和 4)年 3月 重井田郷に分教場を置き、尋常3年生まで収容。
1937(昭和12)年 4月  重井田分教場廃止。
1942(昭和16)年 4月  福重国民学校と改称。
1942(昭和16)年12月 太平洋戦争始まる。
1942(昭和17)年 2月 市制施行により、校名は大村市立福重国民学校となる。
1944(昭和19)年 9月  校庭に、二宮金次郎陶像建つ。
1944(昭和19)年11月21日   

空襲で平屋建校舎1棟破壊される。その後、校地が軍用地(福重飛行場滑走路用地)となり、学校敷地を矢上郷(現在地)に移すこととなる。この間、織田部隊の宿舎となる。(昼間=学校、夜間=部隊宿舎)"

1945(昭和20)年 4月

矢上郷230番地(現在地 福重町230番地)に学校移転となるが、校舎なく、空襲が激しくなり、部落別に公会堂、神社等に分かれて疎開授業。

1945(昭和20)年 7月 矢上郷の敷地に兵舎を移築し、バラック校舎できる。
1945(昭和20)年 8月15日 第二次大戦、終戦。
1945(昭和20)年 9月 疎開授業をやめ、矢上教室で授業開始。
1945(昭和20)年11月 6日 二階建本館を移転。(皆同郷から矢上郷へ)
1946(昭和21)年 7月 運動場整地。(青年団奉仕)
1947(昭和22)年 4月 1日  学制改革により、大村市立福重小学校となる。
1948(昭和23)年 2月 平屋校舎を新築落成。(7教室)
1956(昭和31)年 4月     福重幼稚園を併設。
1958(昭和33)年 5月 危険校舎に指定されていた本館に代わり、大村市で初めての鉄筋ブロック二階建校舎が完成。
1969(昭和44)年 4月 1プール完成。
1969(昭和44)年 6月 運動場拡張。(プールを掘った土で学校田を埋め立て)
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