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大村の城シリーズ はじめに

はじめに

城の尾城(中央の濃い山林)
<戦国時代の石垣や郭が、ほぼそのまま残っている戦闘モードいっぱいの城跡>

  私は、これまで長崎県大村市福重地区にあった尾崎城、岩名城、好武城、今富城などを、このホームページに掲載してきました。また、同時進行みたいにして大村市教育委員会による今富城址の発掘調査説明会(2007年8月8日開催)への参加、福重郷土史同好会主催による第3回福重郷土史講演会(2008年2月2日開催)の「戦国時代の城など」についての聴講、さらに今春(2008年5月17日)開催した「大村の二つの城巡り(城の尾城、伊賀峰城)」にも参加しました。

 このような経過を経て現在の大村市内に、かつて戦国時代や江戸時代などに存在した約25か所の城、砦や館に興味を持っていました。これらを今回大村の城シリーズとして徐々に掲載できればなあと思い立ちました。ただし、準備に関しては文章、写真、資料、その他、相当の期間を要します。特に、江戸時代に編纂された郷村記(以降、大村郷村記と称する)の口語訳などは、私のような素人には難解なものばかりです。

 また、既に市内で発行されている書籍や全国で有名な城関係の本で記載されているところは非常に参考になりますが、全部がぜんぶ紹介中ではなく、ほぼ一から記述する城跡もあります。そのようなことから、全部掲載終了するには、気が遠くなるくらい時間がかかると思います。

 泣きごとばかりを最初から書いていますが、市内の城跡の数はこれ(約25か所)以上増えないでしょうし、仮に1年間に数か所づつでも掲載していけば、なんとか10年以内は終了できる目処もあろうかとは思います。もしも最初からご覧頂ける方には、本当に気長にお付き合いのほどを、お願い申し上げます。

 さて、城と言えば色々な印象があると思われます。私も大村の城跡全部ではありませんが、その多くを訪ねた時、松尾芭蕉の俳句を思い出しました。『夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡』です。市内にある城跡の中には、石垣はおろか全くそこでは城跡みたいなイメージが湧かない近代建築の建物、民家、田畑、山林などもありました。

 しかし、戦国時代を中心に、その城や砦ではそれこそ命をかけて武士たちが戦っていた時もあろうかと思います。中には勝ちどきを挙げた場合もあったでしょう。また、ある時には夢破れて敵に占領された場所もあったと思います。さらには、多くの城の中には、ただ砦を構えただけで戦などとは無縁だった所もあるかもしれません。

 この21世紀の現代になっては場所によっては「当時の大村の先人たちが、なぜ、このような場所に城や砦を築いたのか、なんの目的があったのだろうろか」など分かりずらい所もあるかと思います。しかし、時には攻撃、時には防御含めて自らの領土を守り、覇権を達成するために先人たちが汗を流しながら築き上げたことは間違いなく言えると思われます。

 2008年春、三浦地区にある伊賀峰城へ行った時に分かったのですが、地元の方が城跡周辺や遊歩道の整備・保存をしておられ、そのお陰で私達も気持ち良く見学できました。城や砦の本体の役目を終えて既に400年以上経つと思われますが、このような保全活動をされれば現代においては史跡巡りやウォーキングも含め地域起こしにも繋がるなあと思いました。まさしく、「歴史を現在に生かす」実践と考えました。

 なお、今回の大村の城シリーズの記述にあたりまして、大村市文化振興課の皆様方から資料を頂いたり、郷土史講演会や発掘時の説明会など様々な場面で教えて頂いたことも含めて引用、参考にして作成しています。この場をお借りしまして感謝申し上げます。

 私の掲載するささやかなページは「これを見たら、この城跡について何か分かった」みたいなものでは決してありません。しかし、わずかな情報の中からでも、大村の城跡に関心を持たれたり、史跡巡りなどのちょっとしたご参考になれば無常の喜びです。閲覧して頂ける皆様、先述の繰り返しになりますが、掲載については相当年数がかかりますので根気良くお付き合いのほどを、お願い申し上げます。

参考文献、書籍一覧表 城関係用語集 「大村の歴史」もくじ

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