大村の古写真シリーズ | 赤仁田堤かさ上げ工事完成祝い記念の6枚写真 |
1)1940〜1941(昭和15〜16)年、赤仁田堤かさ上げ工事完成祝い記念、その1写真 撮影場所:当時、福重村野田郷(現在、大村市野田町)<以下、同様のため表示は省略>(注:工事関係記録がない) |
その1写真の説明 この写真は工事完成祝いを開催する直前の写真と思われる。推定ながら1940(昭和15)年秋、農家にとって繁忙期である収穫や供出が終わった直後から赤仁田堤(ため池)の堤体(堤防)のかさ上げ(5尺=1m50cm)工事に着手したと思われる。 そして、翌年の田植えの事前準備などが始まる前までに約半年かけて工事はおこなわれたと推測される。この推測が正しければ、この写真は1941(昭和16)年春(4月頃)かと考えられる。 |
その2写真の説明 |
その3写真説明 この写真は、上記「その2写真」の式典が終わり、飲食物も食べて、しばらくの頃と思われる。そして、ちょっとした余興として重機代わりに工事中の全期間使われたであろう「エートンナ」の綱(つな)を大勢で引っ張ったり、離したりしているところと推測される。 このエートンナの上部には、滑車が付いている。写真とは違って、工事中は数名で綱を引っ張り、重い石などを一旦上げて、その後に所定の位置にきたら綱を緩めて置いていた。こうすれば、重い石でも人数さえ揃っていれば、石垣を築くことが可能だった。また、エートンナ作業中は、ちょっとした節のついた囃子(はやし)言葉というか、独特の掛け声があり、写真では、その囃子言葉を歌いながら余興されている場面と思われる。 |
その4写真説明 この写真は、工事完成祝いの余興として女相撲を披露する前か、披露後の記念写真と思われる。各自の四股名(しこな)を白い布に筆で書き、当時あった酒店や日常使っていた作業用前掛けを付けた姿である。 この女相撲は、現在の野田町(当時の野田郷)にはないので松原地区に現存している女相撲から演技を推測すると、たぶんに女相撲甚句を歌いながら道行き披露し、そして所定の場所で土俵入りの格好をする内容だったと思われる。 あと、男性陣が、「野田の楽隊(ブラスバンド)」で曲などを演奏しているので、女性陣も何か出し物を演じようとして、この女相撲を披露されたのかもしれない。いずれにしても、力強く、堂々とされた姿である。 |
その5写真説明 この写真は、工事関係者の記念写真と思われる。中央やや左側に細い立札があり、そこには「干害応急施設耕地事業 野田郷赤似田溜池工事場 責任者 朝長銀次郎」のとの文字(原文は旧漢字で筆字)が書いてある。 また、この写真の撮影日は、他の工事完成祝い写真と違って、別の日に撮られたと推測される。なぜなら、作業着姿や式典当日ならば準備などもあるからである。 写っておられるのは、石垣作業関係者や一部の人を除き野田郷(町)の現役世代の夫婦などが、ほぼ全員写っておられると思われる。いずれの顔も工事の達成感からか、誇らしい表情である。 |
その6写真説明 この写真は、堤体(堤防)のかさ上げ工事と、その完成祝いも終了し、再び水を入れ貯水量を増やしているところである。堤体中央部にエートンナもあり、その右側方向に数十人の作業者が貯水状況を見守っている。 石垣の黒い部分が工事前の水位で、白っぽい部分が工事後の高さ(平均約1.5メートル)である。 なお、ご参考までに、赤似田堤の大きさは満水時面積1.5ha、貯水量104,00立方メートル、堤高7.0m、 堤長90m 耕地面積は22haである。 堤(ため池)の大きさとしては、福重地区では最大で、ため池の数が多い大村市内でも大きい方である。 |
補足説明 |
・関係ページ:赤仁田堤紹介ページ |
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