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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 不動尊(ふどうそん)

(史跡説明板)不動尊(ふどうそん)
 名称:不動尊  様式:説明板
 場所:市道(旧・今富バス停)から北北東へ約140m  設置者:不動尊氏子、今富町内会、福重地区活性化委員会
 設置年:2016年3月1日(平成28年3月1日)  GPS実測値:32度57分21.45秒 129度57分15.26秒
 全体の大きさ:高さ143cm、横幅70cm  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°57'21.45"N,129°57'15.26"E

今富町にある不動尊(中央)史跡説明板(左側)
<市道(旧・今富バス停)から北北東へ、約140m登った所にある>

史跡説明板写真周辺の説明
  まず、右側1番目写真を参照願います。中央部に写っていますのが、今富町にあります不動尊です。写真左側に白く見えていますのが、今回新設しました不動尊の史跡説明板です。

 建物の周囲が、子どもが遊べるくらいの庭です。写真手前側(撮影地点)は、道路から歩いて登る場合、参道(階段)になっています。参道の両脇や周囲には、高木で、うっそうとした木立があります。

 不動尊(写真)右横周囲には道路があり、車で行く場合、境内の脇(庭の端側)に横づけ駐車もできます。ただし、この道路は、トラックも通りますが、普通車程度までと思って頂けないでしょうか。

 あと、この不動尊(標高40m弱)のある周囲一帯は、小高い丘もしくは尾根です。そして、ここから北東へ80m行った所が、有名な黄金山古墳で、それ以外にも古墳があります。このように、この丘陵地帯は、歴史的に相当古い土地柄でもあります。

 さらに、ここから東へ約220m地点に今富キリシタン墓碑、南側へ約250mに尾崎(おさき)城跡、北側へ約370mに今富の大神宮などがあり、いずれも市内では名の通った史跡ばかりです。なお、次の項目で不動寺などについては、詳細に紹介しますが、関連して不動寺跡と不動尊」ページも、ご参照願います。

不動寺について
 この不動寺については、既に、「福重の名所旧跡と地形」の『不動寺跡と不動尊』ページに詳細を掲載中です。ただし、今回新設の史跡説明板内容にも少しだけですが、この件について記述している関係上、このページでも概略を書いていきたいと思います。

 その前に、上記の項目にも書いていますが、今富町は例えば大村で最も古い縄文遺跡と呼ばれている岩名遺跡を始め、冷泉遺跡などのある町です。さらに時代は下りますが、黄金山古墳を始めとする数基の古墳跡もあり、その周辺や平野部全体が、大変古い土地柄です。また、稲作=米(コメ)が盛んな地域で、それは同時に経済力があった土地と言うことでもあります。人が多くいて、経済力があれば情報や文化も伝わりやすく、当然、仏教も古くから伝播してきたと言うことです。

今富町にある不動尊(中央)

 歴史は、特別な大変動がない限り、ほとんどの場合、その地域では継続していきます。ですから、今富のこの地域周辺は、多くの人も住んでいたし、だからこそ、それを支配していた豪族の墓=黄金山古墳などが造られていたと思われます。

 そして、そのような古くからの土地柄からして、次に書いています不動寺も当然、古代から創建され戦国時代のキリシタンによる焼き打ち・破壊の時まで、何らかの形で存在していたと考えるのが自然とも言えます。

 不動寺のあった場所は、正確には不明ながら、その寺院名が既に平安時代の記録にあります。次の<>内は、『大村市の文化財(改訂版)』(大村市教育委員会・2004年3月26日発行)を引用して紹介します。

< 不動寺 今富町の帯取(おびとり)にあり、今は不動堂といって、帯取・地堂の氏神となっています。創立の時代は不明ですが、平安時代後期の久寿(きゅうじゅ)2年(1155)には寺名が出ています。真言宗(しんごんしゅう)で本尊は不動明王の大仏であり、本坊のほかに七つの脇坊があったといわれますが、その場所はまったくわかりません。 (後略)  (注:念のため、上記の「今は不動堂といって、」の「不動堂」は、今回紹介中の不動尊のことである)

  上記の『大村市の文化財(改訂版)』にも紹介されている通り、仮に、いくら新しくても「久寿2(1155)年」には、既に寺名があるのですから、実際の創建は、それよりも古いのが当然です。例えば奈良時代、あるいは平安時代の前期もしくは中期頃に不動寺は創建されたと言っても、おかしくない状況とも言えます。現在の不動尊は、この古くて長い歴史から、当地に存在していると言えるでしょう。

史跡説明板の内容
  右側上から1番目写真の左側に写っています不動尊の史跡説明板には、下記< >内の文章が書いてあります。(右下側の説明板の画像参照) 原文は縦書きですが、ホームページ上、横書きに直しています。また、見やすくするために改行、行間なども一部変えています。

不動尊の史跡説明板内容(PDFデータより加工)

  なお、この史跡の詳細説明は、「福重の名所旧跡と地形」の『不動寺跡と不動尊』の紹介ページなどから参照願います。

  < 不動尊
  不動尊(ふどうそん)は帯取(おびとり)・地堂(じどう)の氏神である。最初は 不動寺と呼ばれたが、その創建の場所も時代も不明である。ただし、「紫雲山延命寺縁起(しうんざんえんめいじえんぎ)」 という資料によると平安時代後期の久寿(きゅうじゅ)ニ (一一五五)年の宗論には不動寺も参加したと出ている。

宗派は真言宗(しんごんしゅう)で本尊は不動明王であった。本坊のほかに七つの脇坊があったといわれている。天正二(一五 七四)年キリシタンに壊された。その後、宝暦(ほうれき)三(一七五三)年二月、 妙宣寺九世正善院日乗が不動明王を祭る社を建てた。

  現在の神体は明治二七(一八九四)年、多羅山宝円寺跡より移された 金箔鋳造坐像の不動明王で、高さは九五センチである。拝殿は約五・四 ×約八・二メートルである。境内は約七〇〇平方メートルで石の鳥居一基があり、額には不動尊と刻まれ、社殿前の手水鉢(ちょうずばち)は丸形の古いものである。現在、地元の氏子で祭っている。

二〇一六年三月一日 不動尊氏子
 今富町内会・福重地区活性化委員会 >

補足


 (この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)



・詳細な関係ページ:「福重の名所旧跡と地形」の『不動寺跡と不動尊

(初回掲載日:2016年5月2日、第2次掲載日:5月3日、第3次掲載日:5月11日、第4次掲載日:5月16日、第6次掲載日: 月 日) 


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