注1:本ページ標題について、長崎街道の史跡説明板や案内板は、大村市内各所に何カ所かある。そのため、他の案内板と間違わないように「松原宿南側(よし橋近く)」を補足している。(念のため本案内板自体に補足の名称は無い) また、この案内板近くの「よし橋」は、大村方面から来た場合、松原宿の入口に当たる所でもある。
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| (写真2) 中央部は「よし橋」(松原宿の南側) |
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| (写真3) 中央部やや左側が長崎街道の案内板 |
<用語解説> 長崎街道とは:<江戸時代の八脇街道の一つ。長崎市中より豊前小倉こくら(現福岡県北九州市小倉北区など)までの五七里の路程は北部九州の動脈であるばかりでなく、大坂・京都・江戸に通じる幹道であり、長崎奉行・幕府上使・諸大名やオランダ商館長、また商人や文人墨客・蘭学者など、交通面での日本の歴史の重要な舞台であった。>(「日本歴史地名大系」より)
案内板写真周辺の説明
長崎街道の案内板は、長崎県内でも大村市内でも各所に沢山あるため、間違わないないようにお願いしたい。このページで紹介中の長崎街道の案内板のある場所は、長崎街道・松原宿の南側(「よし橋」の近く)である。大村市街地から行くならば国道34号線で北上し、松原本町交差点から左に折れる。
その後、左側にスーパーマーケットや交番を見ながら、よし橋や松原小学校方向へ進むと、その橋の北端部近くで市道の左側に、この長崎街道の案内板が立っている。なお、案内板北側の数百メートル範囲内の史跡として、「松原庄屋跡(現在は松原小学校)」「長岡左近純生の墓」「旧・松屋旅館」「松原八幡神社」などがある。
あと、長崎街道・松原宿と呼ばれた南北間について、南側はよし橋の北端部で、北側は変配橋(はんばいばし)までだった。その距離は、約640メートルである。
案内板の内容
(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)
補足
(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)
・関係ページ:「 」
(初回掲載日:2025年10月17日、第2次掲載日:10月24日、第3次掲載日: 月 日、第4次掲載日: 月 日)
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