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写真・報告 その671
2024年、(郡コミセン)「こおり青春大学」での長与専斎ゆかりの地巡り(概要報告)
2024年10月18日、(郡コミセン)「こおり青春大学」での長与専斎ゆかりの地巡り(概要報告)
(写真1) 旧宅の見学後、参加者全員、右側は長与専斎の銅像 (写真2) 長与専斎の銅像の見学
長与専斎の旧宅(中央部は史跡説明板) 長崎医療センター敷地内
 古田山の疱瘡所跡の史跡説明版など。注意:ここは見学していないが、概要については車内で説明した
  大村市・郡コミセン「こおり青春大学」での 長与専斎ゆかりの地巡り(概要報告)
日時:2024年10月18日13時30分~14時35分  場所:下記の史跡巡りの場所を参照 
主催:こおり青春大学  全体参加数
12名   説明担当:上野
 注:このページ掲載写真は順不同で写真整理番号や上からの順番には何の意味もあない。

<用語解説>(下記の用語解説や写真の出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」の「長与専斎」より)
長与専斎の肖像写真
 
 長与専斎の銅像
長与専斎(ながよ せんさい)
 生没年:天保9年8月28日 〜 明治35年9月8日 (1838年10月16日 ~1902年9月8日) 出身地:長崎県 職業・身分:医師・薬剤師等 別称:松香(しょうこう)

解説 : 医師・衛生行政家。父は肥前大村藩医。安政元(1854)年大坂の適塾に入門し、のち塾頭となる。万延元(1860)年長崎に赴き、ポンペについて蘭医学を学んだ。明治4(1871)年上京し、文部少丞となり岩倉遣欧使節団に随行して渡欧、西欧の医学教育を視察、調査。6年に帰国後、文部省医務局長。8年内務省衛生局の初代局長となる。司薬場の建設、医制の制定、防疫・検疫制度の導入など、わが国衛生行政の基礎を築いた。元老院議官、貴族院議員などを歴任。回想録『松香私志』(1902)がある。

史跡巡りの概要:
今回の「こおり青春大学」の講座は、感染症対策に尽力した郷土の先人、長与専斎のゆかりの地巡りということで、主に下記名称の史跡をマイクロバスで巡りました。太文字の名称は、下車して見学しました。ただし、時間の関係などにより車内からの案内も多かったです。

 (郡地区公民館、出発)-----片町 阿古屋荘跡周辺<元はこの周辺に長与専斎が生まれ育った家があった>

---玖島一丁目 大村小学校 五教館<長与専斎が学んだ大村藩の藩校があり、その黒門がある>

---片町 上小路 浅田家の家老屋敷跡(上小路武家屋敷街)<元は大村藩の家老の屋敷だった。長与専斎と大阪の適塾で学友だった大村藩医の西川黙蔵(にしかわ もくぞう)が、この屋敷を買い取った>

---久原ニ丁目 長崎医療センター 長与専斎の旧宅= 宜雨宜晴亭(ぎうぎせいてい)長与専斎の銅像
--(長崎医療センター出発)

--東大村ニ丁目 古田山疱瘡所跡<長与専斎の祖父の長与俊達が疱瘡(ほうそう)の患者達を診療した所>
--(東大村小学校、経由)-----(郡地区公民館、到着)

 参加者全員の皆様、お疲れさまでした。
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関係ページ:「長与専斎の旧宅の史跡説明板」 「長与専斎の銅像」 「古田山疱瘡所跡の史跡説明板

・こおり青春大学関係ページ;「2023年11月17日、(郡コミセン)「こおり青春大学」での福重の石仏の講話(概要報告)
 



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