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写真・報告 その621
2023年、(郡コミセン)「こおり青春大学」での福重の石仏の講話(概要報告)
2023年11月17日、(郡コミセン)「こおり青春大学」での福重の石仏の講話(概要報告)
(写真1)  大村市・郡コミセンでの「こおり青春大学、手前側は講座受講者、左奥側:講話中の上野
 (写真2) 滑石製平安仏の3体並び(弥勒寺町)  (写真3) 下八龍の線刻石仏(弥勒寺町)
 
<(写真4) 講話用の「福重の石仏スライド画面写真
 (写真5) 仏頭1(弥勒寺町)
(写真6) 草場の単体仏<滑石製平安仏>(草場町)
大村市・郡コミセン「こおり青春大学」での 福重の石仏の講話(概要報告)
日時:2023年11月17日13時30分~14時40分
場所:郡コミセン・小会議室
(郡公民館)
主催:こおり青春大学
参加
5名 
講話担当:上野

 注1:上野の講話中は、映写すライトと配布資料をもとに話した。なお、この内容は、全て冊子「福重の石仏に書いてある。
 注2:本ページ掲載の石仏写真などは、冊子「福重の石仏」の、ほんの一部である。また、話した順番通りではなくい。


講話の概要:

 話した内容は、下記の順番とおりではなく、まとめ直したものである点は、ご了承願いたい。

福重・松原の古い石仏の概
(1)古い石仏が多い、約30体。(2/3以上が大村市弥勒寺町にある)
(2)狭い地域に古い石仏群は九州でも長崎県内でも珍しい。(九州では国宝臼杵の石仏が有名)
(3)「謎の線刻石仏」含めて分からないことも多い。

石仏の種類と年代
 下記の建立年代は仏像専門家によって様々な説があるため最大公約数で表現している。そのことから、年代幅が広くなっている点は、ご了承願いたい。一部の種類を除き(2019年現在)、建立年代は確定的にはいえない。

1)滑石製平安仏-----平安末期~鎌倉初期

2)線刻石仏---------平安末期~中世時代

3)線刻不動明王像---鎌倉初期か中期

4)仏頭------------中世時代

5)六地蔵----------戦国時代

石仏の 「古い」「新しい」の境目年
 1574(天正2)年が、その境目年である。<戦国時代、大村純忠の頃>
(1)この年、キリシタンによる他宗教弾圧事件発生(仏教僧侶の殺害、寺社の焼打ち、略奪、木や石の仏像の破壊、古文書類が燃やされた)

(2)この境目年より古い石仏は、種類も数も表情も豊かである。

(3)新しい石仏は、まるで既製品・大量生産されたような石仏が多い。(ただし馬頭観音は除く)

なぜ石仏が多いのか?
1)仏教寺院が沢山あった。(大村市北部=下記の図Aを参照)
  ・福重・松原・竹松で22寺院あった。
  ・福重地区だけでも述べ16寺院あった。

2)福重・松原は、穀倉地帯で財力があり、多くの寺院と石仏を造りだした。
図A郡地区(大村市北部)にあった(古代~中世の)寺院群 (写真7) 線刻不動明王像(弥勒寺町)
冊子「福重の石仏表紙も同様>

(図B) 注:経塚、経筒、単体仏も縮尺は実際と違う。
上記、経筒が壊れないように周囲に石の天井板、
側壁、小石で囲んだ想像図である。
 
(写真8) 清水の線刻石仏 (弥勒寺町)
 
  (写真9) 仏頭2 <未完成?>(弥勒寺町)
 
(写真10) 野田の六地蔵 (野田町) 
1)滑石製平安仏
  <注:滑石製平安仏は、(写真2、6)と、右側の図Bを参照>
(1)福重・松原に合計9体が現存している。
(2)建立年代は平安末期~鎌倉初期といわれている。
(3)西彼杵半島産出の滑石と推測されている(西彼杵半島は日本有数の滑石の産地)
(4)経塚の上に乗っていたと推測される。(右側の図B経塚の想像図である)
(5)大きさ:高さ22~43cm、幅15~23cmである。

・滑石製平安仏が経塚に乗っていたのは、信仰と目印のためである。これは、北部九州の特徴と思われる。
・大村と佐賀県に10数体
・北部九州に合計27体
・全国には滑石の産地の関係から、滑石製平安仏の例が少ない。
 (注:大村市内に6個の経筒が現存。内5個が福重から出土している)

 補足:末法思想の流行時(平安末期から鎌倉初期)に建立された経筒滑石製平安仏が、これだけ多く大村に現存しているということは、すなわち松原や福重にあった古代仏教寺院が、新しくても平安時代中期か後期前までに、5~6寺院並び立っていないと、数字的(考古学的)にも合わないことを教えている。

2)線刻石仏
  <注:線刻石仏は、合計16体(弥勒寺町に12体、福重町に1体、武留路町に3体)現存している。(写真3、6を参照)>
(1)加工しにくい自然石に線で彫られた石仏である。
(2)納衣(のうえ=粗末な衣類)の下で拱手(きょうしゅ=中国式敬礼)は、共通した姿である。
(3)合計16体で、光背があるのが3体のみで、あとはない。 蓮華座は、全てない。
(4)高さ54cm~137cm、幅45cm~123cm。
 (写真3、7を参照)

・「謎の線刻石仏」とも呼んでいる
(1)一見すれば如来系石仏だが、拱手(きょうしゅ=中国式敬礼)の姿は、神像または神仏習合像を表していると言う。(上野個人の推測ながら光背のある3体は如来系、あと残り13体全部は神仏習合像ではないかと思っている)

(2)全国にも、この姿がない訳ではないが、狭い地域に16体もあるのは珍しいといわれている。

(3)私達は、「謎の線刻石仏」とも呼んでいる。

3)線刻不動明王像
  <注:線刻不動明王像は1体のみで弥勒寺町にある。(写真7参照)>
(1)建立は、鎌倉時代の初期か中期の説あり。
(2)県内では、最も美しい線刻不動明王像。
(3)現代の加工技術で自然石に造れないと言う。
(4)石(像)の大きさ:高さ168cm、横幅78cm

4)仏頭
  未完成含めて仏頭は合計4体で、全て弥勒寺町にある。(写真5、9を参照)>
(1)建立は中世時代か? 様々な説あり。
(2)完成形の仏頭1の高さ約90cm、幅約80cmの大きさは、全国でも少ない。(頭部のみの建立なら最大級か?)
(3)仏頭のみが造られた珍しさもあり。
(4)加工しにくい大村の石である。

未完成の仏頭もあり
(1)仏頭は合計3体(2019年1月現在)あり。
(2)完成形が1体、未完成が2体あり。

5)六地蔵
 <注:冊子「福重の石仏には2体しか掲載していないが、実際は福重地区だけでも5体程あることは確認している。(写真10を参照)>
(1)六地蔵(六面地蔵、六体地蔵)の建立は、戦国時代といわれている。
(2)キリシタンによって破壊されたため、完全形の六地蔵はない。
(3)ただし、六面部分(本体のみ)は、福重だけでも5体以上ある。
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・補足:下記内容は、講話では少しだけ触れたが、ご参考までに掲載した。
線刻石仏のCG (画像処理)について
 私が作成している「福重ホームページ」や、冊子「福重の石仏しかに多数掲載している線刻石仏CG写真について、下八龍の線刻石仏を例に挙げて(下記画像を参照)3枚の写真で説明したい。

(1)実物の写真------石仏の模様線が肉眼では見えにくい。
(2)拓本写真---------模様線が少し見える程度。石の割れ目なども表示される欠点がある。
(3)CG写真-----------鮮明かつ正確に模様線が表現される。


 つまり、火山で出来た大村の石(良い石ではない)なので、普通の実物写真でも、拓本でも石仏模様線が全体鮮明に表示されない。そのため、私は、CG線で表現している。CGは、作業に長時間かかる短所はあるが、その分、線刻模様線の鮮明度や正確性においては、拓本以上である。

 あと、線刻石仏をCG模様線で表示している例は、上野調べながら現在のところ「福重ホームページ」か、この冊子「福重の石仏しか使われていない。誰でもできるCG技術なので今後、仏像専門家、歴史愛好家などに広まればいいなあと、願っている。

質疑応答(Q&A)
 下記の内容は、質疑応答のの一部で、しかも極簡略化している点は、ご了承願いたい。
古墳の中にある石走の線刻石仏(大村市福重町)
仏頭3(大村市弥勒寺町)
キリシタンに殺害された峯阿乗の墓(大日堂)
(大村市寿古町)

Q1:仏頭の場所は、どこか?
A1:弥勒寺公民館近くの山林で「石堂屋敷 」と呼ばれている所に完成形が1体、未完成形が3体の合計4体ある。全部は分かりにくいので、弥勒寺町にいらっしゃれば、私がご案内する。

Q2:なぜ知られてなくて、なぜ、市は保存などをしないのか?
A2:市の宣伝では、市の周辺部を、ほとんど宣伝していないからと思われる。また、福重の石仏群は約10年前の市議会で「指定史跡にする」と答弁しているが、その当時対象に入っていなかった滑石製平安仏も含めて、まだ4体だけだ。まだ沢山残っているが、その後の動きがない。

Q3:大村市内の全部の道路や史跡を歩いてみた。他市よりも素晴らしい観光資源があることが分かった。なぜ、これを市は活用しないのか?
A3:私も全く同感・同意見だ。

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<上野より聴講して頂いた皆様へ、お礼>
 まず、今回の「福重の石仏」講話の機会を与えて下さった「こおり青春大学」の皆様には、大変ありがとうございました。また、お疲れ様でした。今後とも、よろしくお願いいたします。

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・石仏関係ページ:「CG石仏写真(もくじ)」  「仏の里・福重(もくじ)」  「滑石製平安仏(単体仏)とは」  冊子「福重の石仏


初回掲載日:2023年11月18日、第二次掲載日: 月 日、




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