滑石製平安仏とは
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経塚のイメージイラスト(円墳タイプ) 注:経塚、経筒、単体仏も縮尺は違う |
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上八龍の単体仏(滑石製平安仏)
<全体の高さ22.5cm、横幅15cm > |
概要紹介
まず、滑石製平安仏(単体仏)を簡単に紹介しますと、次の「」通りです。
「滑石製平安仏(単体仏)とは、平安時代末期から鎌倉時代初期に建立された滑石でできた単体仏である。また、この石仏は、末法思想流行時に造られた経塚(塚の内部には経筒があった)の上に信仰と目印の意味で載っていたと思われる。
念のため、右図「経塚の想像図(イメージイラスト)」は、一例であって、このように小山のような経塚の真上に滑石製平安仏が載って場合もあるし、それ以外にも真上ではなく脇に置かれた例もある。また、滑石製平安仏は、北九州あるいは西九州地方に多く見られる特徴で、全国例では滑石ではなく、他の石材による石仏や石塔類もある。(石材を産出する地域によって種類が違う)
大村の場合、その位置的なことから、滑石は西彼杵半島産出のものと思われる。(2019年現在で)大村市 福重地区に8体、松原地区に1体が現存している。なお、佐賀県側にも同じよう滑石製平安仏が数体現存している」
滑石製平安仏は九州北部で見られる特徴
滑石でできた単体仏を特集した仏像専門の書籍類が少ないので、ここからは、(2019年3月1日発行)「福重の石仏」の特別寄稿文(竹下正博氏)を参考にしながら書いていきます。
まず、この種の単体仏(石仏)を造る場合、材料として滑石が必要です。その意味で、滑石製平安仏は、その石材を産出する所または、その近くで造られたともいえます。
大村市内の福重・松原両地区に合計9体ある滑石製平安仏は、全部がぜんぶ断定的にはいえませんが、その位置(距離)的な意味からして西彼杵半島産出の滑石で造られたといえます。西彼杵半島は、日本有数の滑石の産地です。なお、滑石製平安仏と石鍋(いしなべ)の材料は、ほぼ同じ滑石です。西彼杵半島は、かつて石鍋の一大産地でもありました。
あと、九州北部における滑石製平安仏の現存数について、先に紹介しました特別寄稿文から引用しますと、次の「」内通りです。(注:太字は上野が付けた) 「(前略) 板状の滑石から彫り出した浮彫りの仏像で、弥勒寺町や草場町など、数か所に伝えられています。よく似たものが、佐賀県の鹿島市や唐津市にあり、壱岐・鉢形嶺経塚のような丸彫りのものまで含めると、福岡・佐賀・長崎の三県で27点が確認 (後略) 」と記述してあります。
つまり、滑石の産地近くで造られた滑石製平安仏は、福岡・佐賀・長崎の三県など九州北部で見られる特徴だということでしょう。先の内容と重複しますが、福重・松原にある滑石製平安仏の石材産地は、その距離的な意味からして、限りなく西彼杵半島ともいえます。
滑石で造られた単体仏・経筒・石鍋
滑石で造られたものといえば、今回紹介の滑石製平安仏(単体仏)を始め、経筒、石鍋などがあります。長崎県の場合、いずれも、その産地は西彼杵半島といわれています。造られた年代では、滑石製平安仏と経筒は、末法思想流行時と同一年代ですから平安時代末期から鎌倉時代初期です。石鍋は、下記の辞典を参照すれば「平安時代後半から室町時代」です。
石鍋については、世界大百科事典 第2版の解説よりの次の<>内を参照願います。ただし、太文字は、分かりやすいように上野が付けました。
<石鍋(いしなべ)=滑石でつくった直径20〜30cm,深さ10cmほどの鍋。体部上方に鍔のめぐるものと把手のつくものとがある。近畿以西の平安時代後半から室町時代にかけての官衙遺跡,集落遺跡から出土する。外面にすすが付着しているので,実用に供されたことは確かであるが,詳しい用途はまだわかっていない。長崎県西彼杵半島には石鍋をくりぬいた痕跡を残す滑石露頭が各所にみられ,当地が石鍋の主要な生産地であったことを知りうる。 (後略)>
上記のように造られた形は、様々ですが、その制作年代の初期は、ほぼ同じ年代、つまり「平安後期〜鎌倉時代」だったことも分かります。(石鍋だけは室町時代まで続いている)
あと、なぜ、上記のように滑石で造られたものがあるかということです。それは、石なのに爪(つめ)でこすっても傷が付くくらい柔らかく、加工しやすい石だからと考えられます。ただし、いくら柔らかいといっても石に変わりないのですから、滑石製平安仏(単体仏)、経筒、石鍋とも、かなりの加工技術が必要だったろうと推測されます。
特に、今回紹介の滑石製平安仏(単体仏)を造るには、レリーフタイプの像ですから、当時としては、高度な石加工技術だけでなく、仏像の知識それ自体を理解している人でないと、細部まで造れなかったのではないかと想像されます。
なお、石材の産地は、西彼杵半島と、ほぼ特定できても、滑石製平安仏(単体仏)を制作した所や人は、どこにいたのかまでは、史料(資料)不足があって、「その場所は不明」と言わざるを得ません。
滑石製平安仏(単体仏)9体の紹介
まず、この項目は、先に下表に並んでいる滑石製平安仏9体の写真を参照願います。この石仏の詳細な特徴や所在地などを知りたい方は、名称部分のリンク先から閲覧願います。なお、下記の石仏名称は、現在では「・・・の滑石製平安仏(単体仏)」ですが、省略形で従来から使用中の名称、「・・・の単体仏」でも通用はします。念のため、枠内の色分けは、見やすくしているだけで何ら意味はありません。
(後半原稿は、準備中です。しばらく、お待ち下さい)
滑石製平安仏(単体仏)の関係ページ:
・「石堂屋敷の滑石製平安仏(単体仏)A」 「石堂屋敷の滑石製平安仏(単体仏)B」 「石堂屋敷の滑石製平安仏(単体仏)C」 「石堂屋敷の滑石製平安仏(単体仏)D」 「上八龍の滑石製平安仏(単体仏)」 「石走の滑石製平安仏(単体仏)2」 「石走の滑石製平安仏(単体仏)3」 「草場の滑石製平安仏(単体仏)」 「東光寺の滑石製平安仏(単体仏)」
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