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この東光寺の滑石製平安仏は、所有者の話しによると、「元は東光寺跡周辺の山から運んで来て、昔から仏壇で祀ってきた」とのことです。この東光寺跡の詳細はリンク先からご覧頂くこととし、ここでは極簡単に紹介します。
その場所について、元々は福重の草場郷(町)でしたが、現在は松原1丁目です。東光寺は、寺領130石余りを有したと伝えられ、郡七山の中でも最も大きな寺院でした。推測ながら、この寺院は平安時代に既に存在したと思われ、そのことから末法思想流行時に経筒、経塚とともに東光寺の滑石製平安仏が建立されたと思われます。しかし、経筒と経塚は、2020年現在で見つかっていません。
なお、同じ草場町(郷)では、草場の滑石製平安仏、草場の経筒その1、草場の経筒その2、草場の経筒その3があります。さらに、先の経筒3基(個)の発掘場所については、如法寺跡近くの畑周辺だったといわれています。あと、この東光寺の滑石製平安仏の写真や造立などを紹介している書籍類は、全国では「組織論─制作した人々(仏教美術論集6) 滑石の仏像(竹下正博氏が執筆)」があり、大村市内では冊子「福重の石仏」以外には見当たらないようでした。
・制作年代:平安時代末期頃
<大きさ>
・全体-------高さ23cm、横幅14.5cm
・石仏本体---高さ20cm、横幅13cm、胴囲30cm
・土台部分---高さ2.5cm、横幅14.5cm
<特徴など>
この東光寺の滑石製平安仏は、仏像専門家の竹下氏の論文によると「弥勒菩薩像である可能性が高い」 「現状は照りのある黒色を呈していて、護摩等によっていぶされたかのような印象を与える」などが記述されている。(詳細は上野作成の冊子『福重の石仏』27ページに記載しているので参照願う)
なお、福重・松原には、合計9体の滑石製平安仏(単体仏)がある。その中で一部の欠損はあるものの一番、保存状態が良好な石仏である。
(初回掲載日:2020年4月30日)
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