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福重の名所旧跡や地形

常徳寺跡(草場町)
名称:常徳寺跡(じょうとくじあと)        場所:長崎県大村市 草場町

  この『常徳寺跡(じょうとくじあと)』の場所は、大村市草場町、字(あざ)関庵(せきあん)」にある「常徳」と呼ばれている所と地元で言われてきました。この字(あざ)関庵」は、国道34号線から草場町へ向かう場合、市道を登ると、新幹線の橋脚周辺にある「如法寺(にょほうじ)」の次にあります。(下記の左側地図参照) 

 江戸時代の(大村)郷村記の記述は、寺院名称と郷(町)名のみで、詳細説明はありません。大村藩領絵図には、描かれていません。

 とにかく、基礎的史料(資料)が、ほぼないに等しい状況なので、今回は福重郷土史同好会の推測を交えて紹介していきます。(後の大村郷村記や寺院の地図なども参照願います)

 ・写真説明:常徳寺跡は、写真中央部周辺と推測される。(注:場所は特定できていないので、あくまでも参考程度に、ご覧願いたい) <写真は、グーグルアースの写真より>

常徳寺跡の場所について
 この常徳寺跡の場所については、基礎史料(資料)が、ほとんどなくて今回は福重郷土史同好会の推測を交えて紹介していきます。その前に下図二つを参照願います。
 (1)下記の右図は、『おおむらの史記』(大村史談会青年部、1982年9月発行)18ページの「郡地方の寺院群」(地図)です。この図の上部に教通寺という文字が描いてあります。その文字の左側に如法寺と図示されています。今回の常徳寺跡は、先の二つの寺院跡の中間部やや南側にあったのではと推定しています。ただし、念のため『おおむらの史記』には、常徳寺跡の説明文も地図のマークもありません。

 (2)下記の左図は、長崎県文化財調査報告書第一五四集 長崎街道―長崎県 歴史の道(長崎街道)調査事業報告書(長崎県教育委員会、2000年3月発行)に掲載されている古代の道と駅跡を示すための字(あざ)です。念のため、下図の古代の道と、今回の常徳寺跡とは直接的には関係なく、分かりやすい地図として掲載しています。

 この図の赤い線を引いています中央部付近に「関庵(せきあん)」という文字があります。常徳寺跡は、この字(あざ)にある地名(あだ名、しこ名)の「常徳」と呼ばれている所と考えられます。一般に地名は、「山、川、海、森」など自然と関係している所は500年位では付かない」と言われています。寺院は自然の名称とは違いますが、基本的には、この場所に仏教寺院の「常徳寺」があったからこそ、「常徳(じょうとく)」が、「あだ名、しこ名」みたいにして出来たと推測されます。

 それは、同じ福重地区内の「立福寺(りふくじ)町の由来は仏教寺院の龍福寺(りゅうふくじ)から。 弥勒寺(みろくじ)町の由来は仏教寺院の弥勒寺(みろくじ)から」と同様でしょう。

赤い線の中央部付近に「関庵(せきあん)」という文字に注目を ((長崎街道―長崎県 歴史の道(長崎街道)調査事業報告書より)
大村市、郡地区にかつて存在した仏教寺院の名前と場所
(『おおむらの史記』18ページより。注:海・川・国道などは彩色加工した)


大村郷村記内容について
 この常徳寺跡について、復刻版=活字版の大村郷村記(発行者:図書刊行会、編者:藤野保氏)第2巻(福重村)133ページに常徳寺蹟として記述されています。ただし、郷名(町名)を書いただけの大変短いものです。

 常徳寺跡
(右側写真中央部周辺)の記述内容を下記に太文字で書いていきます。普通文字部分は、他に紹介している寺院含めて合計六寺院共通のことがまとめて記述されています。念のため、引用、参照される方は、必ず大村郷村記の原本から、お願いします。今回、現代語訳も青文字で大村郷村記下部に書いています。
 
 一 常徳寺蹟 草場にあり
    右六ヶ寺由緒・宗旨不知

・現代語訳
  一つ 常徳寺蹟
      (常徳寺跡は福重村の)草場(
郷)にある。(右記の六ヶ寺とも寺の)由緒(歴史など)や、宗旨(宗派など)は不明である。

 念のため、上記の大村郷村記は、省略したものではなく、記述内容自体が先にも述べたように短いのです。また、上記の通り、短文で分かりやすい記述内容ですから、詳細な補足も必要ないと思われます。

常徳寺跡と如法寺跡近くから出土した(写真右側から)草場の経筒その1その2(詳細説明は、「草場の経筒その1」、「草場の経筒その2」ページ参照)
 草場の単体仏(注:元あった場所は不明)

常徳寺跡近くで出土した経筒との関係
 まず、最初に平安時代の末期、あるいは鎌倉時代初期に末法思想が流行しました。この件の詳細と、経筒経塚(経塚の上に乗っていたという)滑石製の平安仏(単体仏)の関係などについては、大村の経筒」ページを参照願います。(右側に掲載中の経筒単体仏写真も参照願います)

 先の大村の経筒」ページ(草場町にあった)如法寺跡(にょほうじあと)」ページ、「教通寺跡(きょうつうじあと)」ページと,今回紹介の常徳寺跡含めて3寺院近くから出土した草場の経筒その1」、「草場の経筒その2を掲載中です。

 ただし、常徳寺の創建年が不明なため、時期的に「草場の経筒その1」、「草場の経筒その2と関係あるか、どうかまで分かっていません。また、、(経塚の上に乗っていたという)草場の単体仏」も、草場町にはあります。この単体仏の元々あった場所は、不明です。

 経筒経塚単体仏もワンセットで年代も同じと分かっていても、根拠史料がないため、草場の経筒その1」、「草場の経筒その2も、「草場の単体仏」も、先の3寺院と関係あるのか、ないのか詳細は不明です。ただし、経筒が出土した場所が3寺院跡の近くというのは、やはり、どこかの寺院と何らかの関係があったと推測させるものです。

 この経筒・経塚・単体仏のワンセットは、何らかの形で仏教寺院と関係していると考えられますので、どの寺院かは別としても、末法思想が流行った頃の寺院を考える意味で重要とも思えます。しかし、今回紹介の常徳寺の基礎資料(史料)が少ないので、何とも言えない状況です。

補足



  (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください)



(初回掲載日:2018年1月25日、第二次掲載日:1月27日、第三次掲載日:1月29日、第四次掲載日:2月6日、第五次掲載日: 月 日)


  

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