<補足説明>
(1)写真左側には、國民學校生徒ノラヂオ体操の文字があります。この当時、福重小学校は、福重国民学校(注1)と呼ばれていました。
(注1):国民学校=昭和16年(1941)公布の国民学校令により従来の小学校を改めて成立した、皇国民の基礎的練成を目的とする初等教育機関。昭和22年(1947)まで存続。(国語辞典の大辞泉より)
(2)撮影場所は、学校の校庭で後方に2階建て本館校舎が写っています。あと、小学生にしては手前側の生徒の身長が高く見えています。実は、この手前側で体操しているのは青年学校の生徒と推測されます。当の小学生は、奥側(本館校舎の手前側)と思われ、この写真では、小学生の体操姿が見えにくいです。
(3)先に掲載中の国民学校職員ページでも、お分かりの通り、戦前に撮られた本館校舎玄関口の写真は多く存在しています。しかし、校舎全体の写真は少なく、その意味で、ほぼ全景が写っている上記写真は、貴重とも言えます。なお、当時の校舎(建物)にしては2階建で、なかなかデザイン的に優れたものとの評価もあります。
(4)大村市の記録では、この本館校舎は1944年の空襲で甚大な被害があったみたいな記述があります。しかし、それは記録間違いで、被害は本館校舎にはなく、隣の平屋校舎に少しあっただけでした。1945年春に校舎横に福重飛行場が完成し、その空港開港との関係で学校敷地は現在地(当時の矢上郷=現在の福重町)に引っ越しさせられました。空襲にあっていない本館校舎は解体され保管され、そして終戦後の1945年11月に移築・再建されました。
(5)上記写真、本館校舎左側に大きな木が写っています。これは、この当時の学校に通学された方には印象深く残っている栴檀(せんだん)の木と思われます。
(初回掲載日:2013年10月13日、第2次掲載日:2013年10月14日)
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