大村の歴史
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旧「大村空港」(現・海上自衛隊大村航空基地)の歴史 |
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(写真A) (中央部や左側が)大村空港<上記写真は旧「箕島」島民の方からの提供写真をトリミングした。1975年に開港した長崎空港の建設前に撮影されたもの。 奥の島は「箕島」 「赤島」 「がろう島」 「そうけ島」で、この4島と周辺海域を埋め立てて長崎空港は建設された。 |
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旧「大村空港」(現・海上自衛隊大村航空基地)の歴史 注1:下記の概要項目通り、概要のみを先に書き、詳細部分は後で追加、改訂も含めて記述していきたい。 注2:引用・参照文献は後でも追加していくが、2025年5月現在で、放虎原は語る(1999年3月31日、大村市発行、編者:第二十一海軍航空廠殉職者慰霊塔奉賛会)、「軍都」大村の歩みと市民〜回顧1896ー1945(2015年度 大村市立史料館特別展の冊子)、大村市史、大村市の広報誌2025年5月号などである。写真は旧「箕島」島民の方の提供も含めて掲載している。 注3:このページの名称は、旧「大村空港」(現・海上自衛隊大村航空基地)だが、長いのと本ページ内容は、主に民間空港当時を書いているので、旧「大村空港」もしくは単に大村空港と表記している。 <上野からお願い> 大村空港の歴史事項で、例えば書籍類、ホームページ類あるいは動画などにも、あたかも「大村・海軍航空隊」と敷地や歴史が関係あるかのように記述されています。しかし、それらは、明らかな間違い内容です。「大村・海軍航空隊」の敷地は、主には現在町名の富の原1丁目・2丁目、黒丸町、原口町、今津町の一部などであり、また、たどった歴史も戦前戦後とも全く違います。大村空港は、「大村・海軍第21航空廠」の一部分の敷地を使って、1955(昭和30)年に発足したものです。 お願い:先の間違い記述内容は、大村に来て下さる観光客の方や、大村の郷土史を勉強している小中学生、あるいはマスコミの方々へも誤情報になりますので、もしも先の間違いを何かに記述されているならば、資料類などを再検証され、改訂をお願いします。 なお、補足までに「大村・海軍第21航空廠は東洋一の航空機製造工場だった」とか、「大村・海軍第21航空廠は東洋一と呼ばれていた」などと、大村市教育委員会設置の史跡説明板(2基)、大村市ホームページ、さらには報道や、それらを参照され書籍・ホームページ類などに書いておられる方々がいらっしゃいますが、この表現は、日本及びアメリカの一次資料から検証すると、さらに大きな間違い記述です。 旧「大村空港」の概要 名称:元の名称は大村空港だが、現在は海上自衛隊大村航空基地である。しかし、それ以外にも名称の変遷があるので後の項目にまとめて書いている。 空港以前:1941(昭和16)年10月に大村・海軍第21航空廠が放虎原などに開廠。(この航空廠の一部が戦後になり大村空港となる) 大村空港の発足:1955(昭和30)年 滑走路の大きさ:長さ1200m、幅30m。 (「大村空港」敷地全体は調査中) 場所:大村市今津町 用途:当初の「大村空港」時代は主に民間空港だったが、海上自衛隊との共用でもあった。そして、その後、海上自衛隊大村航空基地となり現在に至る。(用途や名称の変遷は後の項目に書いている) 注:上記項目は後で追加、改訂も検討中である。 空港敷地や名称の変遷 (この項目は、現在準備中。しばらく、お待ち下さい) 大村空港の様々な写真 (この項目は、現在準備中。しばらく、お待ち下さい) 大村空港の概略史(年表) 注1:下記の年表は、「放虎原は語る」(1999年3月31日、大村市発行、編者:第二十一海軍航空廠殉職者慰霊塔奉賛会)、大村市史、大村市の広報誌2025年5月号などを引用して作成した。また、一部項目については、補足で上野が書いた。ただし、あくまでも下記内容は、参考程度にご覧になり、引用される場合は必ず原本からして下さい。 注2:下記枠内の色分けは見やすくしているだけで、何の意味もない。太文字は上野が付けた。
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大村空港当時のの思い出も含め様々な事柄 この項目は準備中。しばらく、お待ち下さい。 |
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補足: この項目は準備中。しばらく、お待ち下さい。 |
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初回掲載日:2025年5月23日、第2次掲載日: 月 日、第3次掲載日: 月 日、第4次掲載日: 月 日、第5次掲載日: 月 日 |