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松原八幡神社の古い手水鉢(階段側から撮影。右端側は鳥居の柱)
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概要紹介
松原八幡神社へ登る時、鳥居が一基あります。(参照ページ:松原八幡神社の鳥居の碑文) この鳥居の東側周辺に古い手水鉢があります。(右側写真参照)この手水鉢は、土台石にのっていて手が洗いやすい位置にあります。また、若干の面取りなどの成形はしてあるようですが、自然石できていると思えないくらいに形の良いものです。
この手水鉢の南面(下方向にある市道から見たら左側側面)に高さ約20cm、横15cmの大きさで一段削り取った碑文面があります。その面には、3行の縦文字があり、氏名などが彫ってあります。
長年の風雨・風雪によって、碑文の磨滅(注:すりへること)が激しいため拓本作業をしても解読できない文字が4文字ほどありますが、あとは二人の名前です。また、このような手水鉢、石灯籠、鳥居などを建立した場合の常として、人名が彫ってある場合、その多くが建立者名もしくは寄進者名ともいえます。
磨滅や損傷して解読できていない不明文字も含めて推測すれば、たぶん3人の寄進者によって、この手水鉢は造られたものといえます。碑文には建立年らしき年号がなく、推測するしかありませんが、松原八幡神社が現在地で再興(再建)された時期と同じ頃、つまり江戸時代中期のものと思われます。
あと、一説によりますと、「近代に現在の階段上部にある新しい手水鉢が設置されるまで、この古い方が主に役割を果たしていた」との話もあります。現在も(右上側写真の通り)水道の蛇口があるので、使おうと思えば手水鉢の役割は果たすことも出来ない訳ではないでしょう。
手水鉢の大きさ
松原八幡神社の古い手水鉢の大きさは、下表の数値通りです。(注:この種ものを計測をする場合、通常は本体周囲の長さは中央部(胴囲)の値としているが、今回は手水鉢の形状から最上部の数値とした)
松原八幡神社の古い手水鉢の大きさ
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手水鉢(本体) |
高さ:35cm |
横幅:163cm |
最上部の周囲:403cm |
土台石(基礎石) |
高さ:43cm |
横幅:86cm |
周囲:235cm |
右上側写真や上表の数値で手水鉢本体と、その下の土台石の両横幅を比べて頂ければ分かりやすいですが、最上部位置の長さがかなりあります。ただし、上・下互いに向きが違う三角形状からか、あるいは二つの石とも自然石の風合いからか、どっしりとした安定感もあります。
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右側の拓本から活字化 |
碑文面の拓本
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手水鉢の碑文
松原八幡神社の古い手水鉢には、碑文の彫られた面があります。この碑文面のある場所は、鳥居側が行くと手水鉢の右側面、鳥居下側にある市道から見るならば手水鉢の左側面にあります。その大きさは、高さ約20cm、横15cmです。碑文面は、そこだけ5mmほど一段削り取ったものです。
その碑文面には、3行の縦文字があり、氏名などが彫ってあります。(右側の拓本写真と活字化した画像を参照)ホームページ用に横書きにして 3行を続けて書きますと、次の「」内の太文字通りです。なお”?”は、不明文字です。
「 ??鈴木卯助 山口政吉 ?? 」
1行目上部の”??”は、斜めに2文字あるようです。この2文字、通常ならば「奉納」、「奉」、(近代ならば「贈呈」)、あるいは年号の干支などがある位置です。それらの文字に変わるものかしれないと考え、色々と推測含めて解読を試みましたが分からないため、現時点では不明文字としました。
3行目の”??”は、これも人名とするならば上側に苗字がないので、武士名ではないと思われます。あと、余談みたいになりますが、1行目の「鈴木」姓にも注目してみました。この名前は、全国に多いですが、元々、当該の松原地区、あるいは隣の福重地区にもなかった苗字と思われます。(ただし、先に述べた昔は別としても、現在は大村市内どの地区でも多い名前かもしれません)
まとめ
この項目、通常は先に述べた各項目の補足みたいなことを書いています。今回、碑文自体が(現時点で)2行=2氏名しか解読できなかったこともあり、特別な補足事項はありません。ただ、先の項目と少し重複した書き方になりますが、碑文の一番最初にある「鈴木」という苗字は、当該地域の松原地区でも隣の福重地区でも昔は、ほとんどなかった名前です。
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(拓本作業中)古い手水鉢(市道から撮影。左端側は鳥居の柱)
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そこをヒントに念のため、江戸時代、大村藩作成の新撰士系録から探してみました。しかし、同性同名はありませんでした。新撰士系録といえども、編纂年代の違いなどから、いくら大村藩の武士といえども当然、全部がぜんぶの氏名が載っている訳ではないでしょう。また、もしかしたら、私の見間違いや考え違いなどから探しきれなかった可能性もあります。
私は、この松原八幡神社の古い手水鉢の建立時期は、この神社が遷座(再興)した頃=江戸時代中期頃と推測しています。新撰士系録に名前が記述されていないことから、その推測年代とは全く違って江戸時代後期とか近代になってからかと一瞬考えはしました。
しかし、神社へ登る、あるいは拝殿へ進む場合は、手や口をを清めて行くのが古来からの作法ですから、松原八幡神社が江戸時代中期頃に遷座(再興)した時点に、この古い手水鉢は一緒に設置されたと考えるのが、やはり正しい推測ではとも思いました。
建立年の碑文や古記録がないため、上記のような様々な推測・想像をしてみましたが、この古い手水鉢は、自然石ながら形が良く、使いやすいものです。何かの機会に松原八幡神社の鳥居付近に行かれましたら、その直ぐ脇(東側)にありますので、一度ご覧頂ければと願っています。
関係ページ:関係ページ:松原八幡神社の鳥居の碑文 、松原八幡神社にある題目五千回唱和記念碑 、大村藩領絵図 、(大村)郷村記
(初回掲載日:2014年10月19日、第2次掲載日:10月20日、第3次掲載日:10月22日、第4次掲載日:10月23日)
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