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福重郷土史同好会
2016年の活動報告(2)

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立福寺町老人会の状況(講演会前)

立福寺町老人会・郷土史講演会(概要報告)
日時:2016年4月8日11時05分〜11時55分
場所:
大村市立福寺町、立福寺公民館
参加: 33名  講師:上野が担当
テーマ:寺名の地名はあるのに、なぜ、寺がないのか?

<主な内容(概要)>

 今回の郷土史講演会のテーマは、立福寺町老人会の依頼、要望があったので話したい。立福寺町は、今回のテーマそのもの所である。立福寺町の名前の由来は、ここに龍福寺(後で漢字表記は龍ではなく「立」に変わった)があったからである。今も、その寺院跡(寺屋敷)あるいは石塔などの遺物がある。

 他にも、福重地区(旧・福重村)内には、町名で弥勒寺町、あるいは字(あざ)で例えば、冷泉寺(今富町)、女法寺(如法寺、草場町)、東光寺(元は草場町だった)などもある。さらに、通称の地名として良く話されているのが正連寺(寿古町)などもある。

 なぜ、「寺名の地名はあるのに、なぜ、寺がないのか?」は、答えを先に言えば、それは天正2(1574)年=大村純忠時代、キリシタンによる他宗教弾圧事件(僧侶の殺害や寺社の破壊など)により、寺がなくなったからである。

沢山の寺院があった郡(松原・福重・竹松)地区の寺院群

 今回は、その前の事柄から話して、なぜ神社仏閣がキリシタンによって破壊され、その後、どうなったのか。また、現代において、この事件は、どう語られているのか。あるいは、何が問題かなどを話したい。

1)奈良時代に大村へ仏教が伝播し、平安時代には仏教寺院が並び立っていた

 ・奈良時代に郡地区へ仏教が伝播し平安時代には郡地区(松原・福重・竹松)の仏教寺院は並び立った。平安末期に宗論した寺院は、次の9寺あった。注:( )内は、現在の町名である。

 (1)龍福寺(立福寺町)、(2)弥勒寺(弥勒寺町)、(3)白水寺(皆同町)、(4)冷泉寺(今富町)、(5)東光寺(元は草場町)、(6)如法寺(草場町) 、(7)正(聖)蓮寺(寿古町) 、(8不動寺(今富町) 、(9)唐泉寺(福重町)

 ・平安時代末期〜鎌倉時代初期に流行した末法思想との関係で福重に7体ほど(経筒のあった)経塚の上に乗っていた単体仏がある。これは沢山の寺院が既に平安時代に並び立っていないと出来ないことである。

2)福重にあった寺院数(ただし、延べ数)
 (1)龍福寺(立福寺町)---約33石、(2)弥勒寺(弥勒寺町)---約21石、(3)白水寺(皆同町)、(4)冷泉寺(今富町)、(5)東光寺(元は草場町)---約130石、(6)如法寺(草場町) 、(7)正(聖)蓮寺(寿古町) 、(8不動寺(今富町) 、(9)唐泉寺(福重町)、 (10)無量寺(皆同町) 、 (11)済福寺(皆同町)、 (12)教通寺(草場町) 、 (13)祇園寺(福重町) 、(14)立石庵(草場町) 、 (15)常徳寺(草場町)

 現在、上記の寺は全くないが、立福寺町、弥勒寺町の町名や、地名(字=あざ)などで残っているので、福重地区内外で「福重には昔、お寺が沢山あったとねえ」と言う会話がなされている。

)<天正2(1574)年=大村純忠時代に>キリシタンによる他宗教弾圧事件により、寺がなくなった
 ・この時、僧侶 峯阿乗などを殺害---寿古町に峯阿乗の墓=大日堂と、峯阿乗の碑(記念碑)がある。
 ・神社仏閣や仏像を焼打ち、破壊、略奪の限りをおこなった。(現・大村市内だけでも寺社41ヶ所)
 ・一神教の排他性から来る他宗教への攻撃、弾圧事件であった。

龍福寺跡の墓碑(立福寺町)

キリシタンから殺害された峯阿乗の墓=大日堂(寿古町)

4)歴史事項は、どちらも公平に語るべきではないか
  キリシタンはバテレン追放令が出た後頃から弾圧、迫害、殉教などがあったのは事実である。特に、福重地区内でもある今富町の帯取殉教(神父2名の殉教)や、郡崩れ(411名が死罪,20名が永牢,78名が牢死)などは歴史的事実である。しかし、その前に上記通りキリシタン側が他宗教への攻撃、弾圧事件を起こしたのも、これまた歴史的事実である。

 歴史を語る場合、どちらも公平に語らないと、それは結果として不公平だけでなく、多くの方へ嘘をついていることと同じとも言える。

  今、県内の教育・報道、特に世界遺産運動「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の宣伝や報道内容は、この視点が全く欠落している。また、禁教時代が話題になっているが、この件について2007年度長崎県考古学会大会で、大学教授や各先生などから一部において疑問の意見も出されていた。

 こんな状態で、仮に世界遺産になったとしても、インフラ整備などの遅れとともに、この件(キリシタンが他宗教に対しておこなった仏教僧侶の殺害、寺社の破壊などの攻撃、弾圧事件)は、後で問題になるかもしれない。

 また、日本国憲法では、政教一致を禁止している。大昔から政治と宗教が一体になっておこなわれた結果、どの宗教とも様々な問題や弊害が起きた。そのような教訓から、政治と宗教は分けるべきだとの考えから、この政教分離が憲法になったと思える。今回のテーマは、今後も様々な形で問いかける問題とも考えられる。 (以上)

関係ページ:「誤解を招くような表現、その3、キリシタン時代に起こったこと」、「大日堂(キリシタンから殺害された僧侶・峯阿乗の墓」、「大日堂と峯阿乗の碑」、「峯阿乗の碑(記念碑)


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