お殿様の偽装 |
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22)おおむら浪漫2 |
大村の歴史を考えるシリーズ |
お殿様の偽装
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誤解を招くような表現、その3、キリシタン時代に起こったこと |
誤解を招くような表現、その3、キリシタン時代に起こったこと
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このページは『誤解を招くような表現、その3』です。今回のテーマは、大村純忠時代のキリシタンについてです。まず最初にお断りを書きますが、このページに書いていますことは、宗教上の教義とか信仰上のことではありません。 私は宗教については全くの素人で、そのようなことは専門に勉強したこともありませんし、その知識もありません。このページは、あくまでも歴史上の研究で、あったことの事実を書いているだけです。 あと、なぜ今回のテーマを書こうかと思ったのかは、いくつか理由があります。それは 1)ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は2000年3月12日、バチカンのサンピエトロ広場で ミサを行い過去2000年間に キリスト教会が犯した過ちを認め謝罪されたことは、あまりにも有名で多くの方に驚きと、ある種の感動さえ広がりました。 2)年月日は忘れたのですが確か韓国の放送局の方が長崎県に取材に来られました。その時の模様をニュースで見ましたが、概要「長崎県内で起こったキリシタンへの迫害・殉教の歴史、26聖人などを取材されました」との内容でした。 3)私が学生の頃、地域の年配の何人かに、この種のことが話題になった時、(大村弁で)「あん人たちは昔んキリシタンが全部、殉教や聖人のごと言わす。そん前に何んばやったか一言もいわっさんとバイ」と聞いたことが何回かありました。しかし、その当時、私は郷土史に興味などないため関心はありませんでしたが、同じ福重地区でしたので、ずっと引っかかる言葉でもありました。 以上3点挙げましたが、まだまだありますが、話を先に進めます。私は大村純忠以降に起こった宣教師などの処刑・殺害や”郡崩れ”と言う大弾圧事件をはじめ呵責なキリシタンへの迫害は歴史の通りであり、表現上の迫害・弾圧・殉教・聖人などについて何も言うことはありません。 ただ、大村純忠時代に全く別の側面で起こった出来事は、これまた歴史上のことでありながら、そのことについては現在出回っている書籍、大村市内の案内板などについて不足分は触れざるを得ないと思います。それは、私が学生時代に全く知らなくて、地域の年配の方が言っておられたことの意味を書籍などから、やっと中高年時代になって知り得たことからでした。 宣教師の要請を受け大村純忠が許可し神社仏閣の破壊、改宗しない領民追放、僧侶阿乗などの殺害
「現在のキリスト教の方は、昔のキリシタン時代のことを全部、迫害、殉教、聖人のように言っておられる。(そして、そのように顕彰の碑などにも書いておられる)しかし、その前の(大村純忠時代に起こった、キリシタンによる神社仏閣の焼き討ち、破壊、僧侶の殺害など)は、何一つ言われない(当然記念碑などに書いてもおられない)」と言うことだったのです。 実際、いくつかの書籍などを読むと大村純忠時代1574(天正2)年、度重なる宣教師からの要請を受けていた大村純忠がついに許可し、領内にある神社仏閣のいっせい焼き討ち、キリシタンに改宗しない大村領民の追放、キリシタンによる僧侶阿乗などの殺害された歴史的事実があったのでした。 現在の大村市内と限定しても、神社仏閣(合計41)が全部破壊・焼き討ちに会いました。(この項、大村史談会青年部発行『おおむら史記』参照)そのため、その寺院の地名だけしか残っていない所もあり、例えば福重地区の大村市弥勒寺町、立福寺(龍福寺)町さらに字(あざ)で冷泉寺などあり、また以前あったと言われている白水寺など多数あります。
その後、大村藩3代藩主時代の1647(正保四)年5月に、この大日堂が建立されました。(この項、大村市教育委員会発行『大村市の文化財』参照)この大日堂以外にも、お墓がいくつかあるようです。 また、大村純治と同一人物と思われる「大村純伊」や大村純前の墓は、今富城や白水寺(右写真)周辺にあったようですが、1574(天正2)年にキリシタンが墓をあばき遺骨は近くを流れる郡川(こおりがわ)に流されたと伝えられています。(この項、『大村市の文化財』参照) つまり、規模の大小は別としても、ほぼ同じような時期、南アメリカ諸国で起こった(有名なインカ帝国末期時代)略奪、惨殺、地元の宗教施設の破壊、宗教の改宗さらには文化や言語まで変えられたことなどがありましたが、それに似たようなことが、この日本の長崎県内でも起こっていたのです。 以上のようなことを学生時代の私が知らなかっただけで、ご年配の方は上記と同じようなことを破壊された寺なども多い福重地区ですから、良くご存知だったから何人もの方が同様のことを言っておられたのだと思います。
私は民間レベルで色々な表現をされるのは、歴史的事実であれば何も申し上げることはありません。ただ、上記のような史実があるにも関わらず大村市内に設置されている公的機関の案内板などが、ほぼ似たような文面だけでいいのでしょうか。しかも、それは、当時のキリシタンによって焼き討ちされた神社仏閣周辺と言う所もあるのです。 また、年代的なズレで可能性として低いですが、もしも公的機関の案内板に書かれているお名前の方が逆の立場(破壊に加わったとか、指示した側など)では、万が一でもないでしょうか。もう400年以上の前のことですから、複雑な思いなどは、どなたにもないと思われますが、書籍や公的機関の案内板などは、何か一工夫できないものでしょうか。 大村純忠時代にキリシタンによって神社仏閣の破壊・焼き討ち、僧侶などの殺害が起こったのも事実です。その後その所に建てられたキリスト教寺院が逆にキリシタン禁教令によって破壊・焼却され、さらには隠れキリシタンなどへ凄まじいまでの弾圧、迫害、殺害、刑死、獄死、または殉教されたのも事実です。いずれも、当時の大村領で起こった歴史的事実です。 欧米では、物事を知らせる時に公平か公平でないか(フェアかアンフェアか)は、時と場合によっては重大事になるそうです。とりわけ、各報道機関などは。それが、冒頭述べた通り(外国メディアに対しても)「長崎県内で起こった迫害、殉教、聖人の歴史」だけを教える表現でいいのでしょうか。 何事にも「光と影」があり、歴史的事実がある以上、一方の「光」のみ、あるいはその逆で「影」のみの情報は、報道機関や案内板など公平さを求められるところは再考の必要性はないのでしょうか。 あと、私は2005年に歴史をテーマにしたある講演会を聞く機会がありました。その講師の方は宗教の立場は違えど「ローマ法王の過去の歴史に対しての謝罪発言を聞いて話しやすくなった」などと好意的に言っておられました。そのような意味からもローマ法王ヨハネ・パウロ2世の発言は、今後の歴史研究上からも意義ある内容だったと思われます。 今回のテーマ『誤解を招くような表現、その3』を極簡単にまとめますと下表の通りになると思います。
(掲載日:2006年5月15日)
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