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お殿様の偽装
22)おおむら浪漫2
大村の歴史を考えるシリーズ
お殿様の偽装
追加文その5、おおむら浪漫(2)

追加文その5、おおむら浪漫(2)
おおむら浪漫(25ページの一部)
同時期の開設・発行なのに、どうして中身が違うのか
 今回のこのページ『おおむら浪漫(ろまん)』と言うガイドブックの2回目です。(初めてご覧の方は、先のページ<追加文その4、おおむら浪漫(1)>も、ご参照願います> 今回は、『おおむら浪漫』25ページに書かれている大村寿司の紹介(歴史)の問題点についてです。

 まず最初に、この『おおむら浪漫』25ページに紹介されている「にごみ、ゆでピーナッツ、イイダコ、シャコ」などの紹介文についても、あるいは大見出し(右側写真を参照)の「美味、大村独特の伝統料理」やリード=小見出しの「歴史深い、大村寿司をはじめとする海の恵み、山の幸が造り出す大村の自慢料理」の表現も、紹介写真と併せて、私は分かりやすいと思います。

 ただ、上記の標題にある通り、この『おおむら浪漫』と既にご紹介しました<(社)大村市観光コンベンション協会のサイトに書かれている大村寿司について<追加文その3、大村寿司の起源がいつのまにか変わっている>の(歴史など)記述上の問題点や矛盾点を主に、これから書いていきます。

このガイドブックでは、大村寿司の起源は偽装の歴史を踏襲
 大村寿司の起源などについて、このページには「大村藩ゆかりの大村寿司は、戦国時代領主大村純伊が戦に敗れ流浪の末、領地の取り戻した時に、それを喜んだ領民たちが取り急ぎ御飯と具をもろぶたに詰めた押し寿司をお祝いに出したのが始まり。」と書いてあります。

 この(大村純治と同一人物と言われている)「大村純伊」に関係する中岳での合戦の敗北、約6年間の流浪、領地回復説は、今までの『お殿様の偽装シリーズ』で何回も取り上げてきた通り、「大村千年の歴史」表現とともに”偽装の双璧”です。江戸時代に大村藩が偽装した歴史記述の踏襲です。詳細は<大村純治と「大村純伊」は同一人物では、その2=虚構と言われている「大村純伊」の敗戦、6年間の流浪〜大村奪還>ページをご覧下さい。

 私は、このような偽装の歴史を踏襲した記述はすべきでないと、この『お殿様の偽装シリーズ』で何回も申し述べてきました。ましてや、多くの観光客の方が目にする(事実上大村市公式)ガイドブックに書くようなことは、避けるべきだったと思います。

 この大村寿司の起源や紹介などについては、先の<追加文その3、大村寿司の起源がいつのまにか変わっている>ページに詳細に書きましたので、これ以上書きません。ただ、このように誌面が限られた紹介文では、むしろ当時のお殿様の箔付けに書かれた偽装の歴史を書く必要はないと思います。日本全国どこのすしでも元々庶民が食べて変革してきた歴史があるのですから。(日比野光敏氏の著書『すしの歴史を訪ねる』(岩波新書)、『すしの貌』(大巧社)、『すしの事典』(東京堂出版)を参照)

500年以上続く伝統料理は、それだけでも重みがある
 私が大阪に住んでいた頃、ある板前さんから(料理人の世界で)「私は京料理を修業してきました」と言えば、それ以外何も話さなくても(どれくらいの腕前なのかなど)通じる」と聞いたことがありました。このことと同じとは言いませんが、上記のような偽装の起源やお殿様の名前などをいちいち書かなくても、「伝統料理で500年以上続く」と言うだけでも、私はたとえ庶民が守り育ててきた郷土料理であっても充分、”歴史の重み”があるのではないかと思います。

大村市観光コンベンション
協会のサイトより
 この寿司についての本当の歴史研究が進む間、例えば「大村寿司は郷土の方が500年以上前から大事にしてきた伝統の郷土料理です」と紹介文に書いただけでも、私は充分観光客の方には通じる表現だと思います。

同じ起源なのにホームページでは「江戸時代から・・・」、ガイドブックでは「戦国時代・・・」の表現は矛盾していないか
 既に、先のページ<(社)大村市観光コンベンション協会のサイト(ホームページ)に書かれている大村寿司について<追加文その3、大村寿司の起源がいつのまにか変わっている>で紹介しました通り、このホームページに、大村寿司の由来として「江戸時代から今に伝わる大村寿し」(右写真参照)と掲載されています。

 先のホームページとガイドブックの『おおむら浪漫』は、作成者も作成時期も、ほぼ同じです。ホームページが今年(2006年)7月下旬、冊子が同じく8月初旬でした。それなのに、なぜ同じ大村寿司の起源について、ホームページでは「江戸時代から・・・」と言い、冊子では「戦国時代・・・」となるのでしょうか。たとえ文字数や構成上の制限があったとしても、このような矛盾した表現は、おかしいと思われます。

 もしも、歴史などの目的追求型で大村に来られた観光客の方で「大村寿司の起源や由来」を本格的に調べられたら偽装の歴史以前の問題点として、このような違い自体にも疑問を持たれるだけでなく、大村市観光案内(記述)そのものの信頼性まで問われるのではないでしょうか。

 私は、先の<追加文その3、大村寿司の起源がいつのまにか変わっている>ページにも書いた通り、砂糖を使った大村寿司は江戸時代からと思います。しかし、砂糖を使っていない元もとの大村寿司の起源は間違いなく戦国時代より古い(500年以上)と思います。偽装の歴史記述の全面削除とともに、このような矛盾した記述は、止めるべきだと思います。

大村寿司
 私ごとになりますが、私の大阪在住時代の25年間、デパートで長崎物産展があり、そこで大村寿司の製造直売があれば時間かかっても大抵買いに行きました。また大阪空港内で客室乗務員の方から「大村の運航宿泊で大村寿司を食べました」「お土産に家族に持って帰りました。おいしいですね」など聞きますと、大村出身者としてある種誇らしくもあり自慢でもありました。

 この「大村の歴史を考えるシリーズ」は、歴史研究がテーマですから、冷静に事実や史実を書くページだと私自身思ってはいます。しかし、偽装極めつけの「大村千年の歴史」表現だけでなく、いまなお大村寿司の起源や由来まで”偽装の双璧”の「大村純伊」由来説を踏襲したり、江戸時代から砂糖を用いているので今回のホームページで新たに「大村寿司は江戸時代から説」と記述したりと矛盾に満ちた表現で大村市が観光客の方に紹介しているのかと思うと残念でなりません。

 私以上に、1980年代以前から著名な学者さんや郷土史の先生方が、この偽装の歴史を理路整然と正し、事実上決着済みだったのに、またもや大村市総合計画、大村市の観光サイト、大村市のガイドブックなどに、堂々と偽装の歴史などが記述されているのをご覧になるなるならば、じくちたるものを感じられているのではないでしょうか。<2005年のパブリックコメント>を出された市民の方も同様でしょう。

大事なことは、まず偽装の歴史や矛盾した事項を書かないことでは
 また、それ以上に善意で大村の歴史や大村寿司を紹介して下さっているガイドブック、歴史本の出版社、マスコミあるいはホームページ作成者の方々は、「公的機関の記述は総て正しい」と信じて疑わずに書かれているはずです。一度作成されれば、余程のことがないかぎり大村の歴史の偽装事項や矛盾は気づかれないままと思います。私は、ただの一市民ですが、このような作成者の方々に申し訳ない気持ちです。

 先の<正々堂々と正して欲しい>や<追加文その3、大村寿司の起源がいつのまにか変わっている>ページに書きました通り、やはり偽装の歴史や矛盾に満ちた記述は、全面削除して、広く市民の意見も取り入れて改訂することが最良の方法だと思います。
(掲載日:2006年9月22日) 
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