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お殿様の偽装
22)おおむら浪漫2
大村の歴史を考えるシリーズ
お殿様の偽装
江戸時代に偽装され大村氏系図

江戸時代に偽装され大村氏系図
大村氏系図は江戸時代に偽装され、それがそのまま現代も使われている
 私は、学生の頃、学校や年配の方などに(後で偽りだったと知りましたが)「大村の殿様のご先祖は、平安時代、四国から渡ってきた。その後その子孫が大村をずっと治めてきた」と、教えられてきました。

 当時、年配の方は親しみを込め、大村の殿様のことを(大村弁で)「おおむらん、とんさまー」とも言っておられたことを子供ながら聞いた覚えがあります。先に述べたことを、まわりの方は、誰も信じて疑うことはありませんでしたし、私も当然そうでした。

 ところが、(2003年11月からの)『福重郷土史講座』受講中、講師の方から「大村氏系図は江戸時代に偽装され、それがそのまま現代も使われている。単に系図が間違っているだけでなく、大村の歴史そのものまでも間違っている」と聞いた時、私は「えっ」と言う声が出てしまいました。

 今まで約50年間(当時は、やむを得ないこととは言え)学校の先生や年配の方々に騙されていたのかと言う思いなどがしました。しかし、何か月か経つうちに歴史問題は一時の感情では、先に進まないものだと思いました。それで、なぜ、そのような指摘がされているのか、まず本など調べてみましたら、けっこう書いてありました。

 (この件について書籍の詳細は、既に掲載済みの『
参考文献、書籍一覧表(大村の偽装の歴史を調べた書籍一覧表)』をご覧下さい。また、これから書いていることは、他の本にも書かれてありますが、主に大村史談会発行『大村史談』(第13号)を参考にしています。

 極簡単ながら年代別に古い順ふたつを下記に列記します。
1)1907(明治40)年頃に黒板勝美氏が、大村氏の偽装の系図を指摘し、より正しい系図を大村家に持参されました。(ただし、これと同じ系図が書かれた出版物はないようです)

2)最初の本は1942(昭和17)年に、次は
1963年(昭和38年)太田亮氏が、名著『姓氏家系大辞典』にて「大村氏の系図」は、偽装と断定されました。

 黒板勝美氏がされたことは、東京大学教授当時のこととはいえ明治時代や戦前のことですから、なかなか表立って問題指摘される事柄ではなかったと思われます。

 しかし、黒板氏の愛弟子とも言われ日本第一の系図学者とも評されている太田亮氏が書かれた『姓氏家系大辞典』は、最初の本で1942(昭和17)年に出版、次は戦後もかなりたった
1963年(昭和38年)の出版(角川書店)です。なお、大村市立図書館は戦後の蔵書です。

 この本に、大村氏系図がどのように書かれているのか、そのほんの一部(一節)を下記に紹介します。なお、原文は、旧漢字体のためホームページ上で表示できませんので、私の方で変更しています。また、下記の解釈は素人訳なので、あくまでもご参考程度にご覧下さい。

 『姓氏家系大辞典』(1317ページ下段中央部分より) (前文省略) されど、純治以前は其の歴代の名称すら、史籍、古文書に微塵もなく、純前以前も事蹟、年代、共に正史に一致せざるなり。而して正確なる史籍古文書に見ゆる此の氏人は一も見るを得ず。其の偽作なるや明白ならん 」

大村氏系図

これを分かりやすく解釈すると(大村氏の系図には色々名前が書いてある)でも、大村純治以前の歴代の名前には、それを証明する歴史を記述した書物=史料(資料)や古文書類は、少しもない。また、大村純前以前でも事実の痕跡(こんせき)も、年代ともに正しい歴史と一致していない。そして、正確な史料や古文書から見えてくる古代からの((大村氏の系図に書かれてある)大村氏の祖先は一つもない。その偽装は明白であると言うことでしょう。

 このような学者さんたちが研究を重ねた結果出された結論は、もしも大間違いでしたら信用問題や学者生命さえ危ぶまれることは、現在も当時も状況は変わらなかったはずです。そのような方々が、「偽装は明白である」とまで断じておられるのです。

 通常なら、この本で確認をされたなら、最低でも公的機関が作成・発表する本や資料(年表)から、たとえ但し書きや添え書き類も含め偽装の歴史は削除し、大村各所にある案内板や標示柱類などは、作るべきではなかったと思います。それが(一時期を除けば)堂々と出版され、案内板など数回立てられているのです。


 話が前後しますが、系図について本などを見ていく内に、いくつか私なりに分かりました。日本の系図の約九割くらいが、正しくないようです。あと、単純に上(ご先祖様)から下まで氏名を書いただけの系図なら、名前を書くだけですから、いくらでも誤魔化しが効くので、そのため確かにその人がその時代に実在したと言う証拠(史料=資料)が別に必要だということです。

 一般人に比べ、領袖・豪族(殿様)などは、時の中央政府や隣の領袖・豪族との往復書簡類あるいは部下に対する書状類など、なんらかの形でどこかに存在し、また、時の役人や文学者によって記録や戦記物語みたいに残されるそうです。そのような裏付け史料が大村純治(=「大村純伊」と同一人物と言われている)以前の大村氏には、「全くない」と言われているのです。

 あと、もう一つ、現在も公的機関が使っている大村氏系図は大村純治以前なら偽装の系図ですが、その後(その次は有名な大村純忠)あたりからは、ほぼ正しいと言われています。私は、このことだけでも大村家は本当に長く続く家系だなあと思いました。

 むしろ、なぜ大村の公的機関は但し書きしながら偽装の系図を紹介するだけで、学者さんから正しいといわれている大村純忠前後頃からのことを自信を持って堂々使用しないのか、疑問に思います。それは、たとえば3時間にも及ぶ”嘘の講義”を聞くより、30分間であっても正しい講義が必要で貴重だと同じではないでしょうか。

 そこで、大村純治以前については、まだまだ、より正しいと思われる系図でも先生方によっては諸説あるので、ここでは詳細に明示することは避けます。それよりも、右の図の通りなら、ほぼ先生方の意見も一致されているようですし、これなら観光客の方や郷土史に関心のある学生さんにも堂々と話せる内容と思います。

 繰り返しになりますが、この図の通り大村純治以降を述べただけでも全国的にも少ないような歴代家系ですから、むしろその方が名声を上げることはあっても下げることはないと思えます。

 あと、江戸時代の大村藩がなぜ系図を偽装したかについて、簡単に触れます。それは、時の権力者(江戸時代なら徳川家)、藤原家、源氏などの家柄でないと要職にも付けなかったし、また、家柄によってその身分も左右されたから、各藩競って系図を良い様に作り変えたと言われています。

 その時に大村藩が真似したのが島原・有馬氏の家系図で、先のページでご紹介した参考文献、書籍一覧表(大村の偽装の歴史を調べた書籍一覧表)』に書いておられる先生方も共通して、瓜二つみたいに似ている主旨のことを述べられています。

 以上系図について、その概要を書きました。詳細をご覧になりたい方は、どうか先に上げた書籍類を参考にして下さい。次は、大村氏は、(四国出身ではないので)どこの出身なのかなどを見ていきたいと思います。

 (掲載日:2006年4月24日

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