お殿様の偽装 |
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22)おおむら浪漫2 |
大村の歴史を考えるシリーズ |
お殿様の偽装
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正々堂々と正して欲しい |
正々堂々と正して欲しい
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これまで、ずっと「大村の偽装の歴史」及び「偽装の歴史ではないが、誤解を招くような表現」について、掲載してきました。また、このことを何故書いてきたかも極簡単にまとめますと「大村に観光で来て下さる方や、これから郷土史に関心を持たれる学生さんなどの市民に対して、一つの情報提供」と思っているからです。しかし、個人のホームページだけでは、なかなか広がっていかないことも最初から充分わかっています。
このシリーズを掲載している最中でも色々な報道含めてありました。また、逆に別の形で、新たな見解と言うべき変化も同時に起こっていることも分かりました。今回は、そのことと併せ『正々堂々と正して欲しい』と言うテーマで少し書きたいと思います。 様々な反応が寄せられました 私が、この大村の歴史の偽装問題を知った2003年11月頃から多くの方と賛否両論まじえて様々なお話を聞いてまいりました。また、この『お殿様の偽装』と言うテーマで掲載してからは、直接やや突っ込んだ意見もお聞きしました。 その多くが、「やはり偽装の歴史はおかしいですね。なぜ大村市は続けているのでしょうか」と言う意見が多かったです。また、初めて聞かれる方も多かったことから、「どこの、なにが偽装なのか」との具体的な質問内容もありました。このことの一部は、既に『Q&A』ページに書いていますので、ご覧下さい。 あと、「こん件は一部の人しか知っておらんかったと」とも聞き、改めて情報不足があることも私なりに再認識しました。私はその度に「いや、大村の郷土史に関心ある方で、ちょっとでも本や資料を見られた方は、おかしいなあと思われ、直ぐにこの偽装の歴史は分かるはずですよ」と返答していました。 さらに「歴史に詳しい方は、充分偽装の歴史のことは知っておられますよ」、「でも、大村市の2005年のパブリックコメントには偽装の歴史をそのまま書いておられるから、余計おかしいと言っているのです」とも返事しました。
大村氏の子孫の方が「大村千年の歴史」などの呼び方について『これは止めるべきである。』と提言 私は、今春(2006年4月下旬)いつもの通り年一回発刊されている『大村史談 第五十七号』(2006年3月31日大村史談会発行)を書店で購入しました。この1ページから太祖「直純」考と言うテーマで勝田直子氏が記述されているのに目がいきました。勝田さんは長くながく続いておられる大村氏のご子孫(戦後大村市の市長になられた大村純毅氏の娘さんです)にあたられます。 この論文は、かなり文章量も多く、具体的に詳細に書かれていますので、このページに概要さえ書くことは難しい状況です。ただ、18ページからこの論文のむすびが書いてありました。19ページの上段5行目から次のように書かれています。<>内が、その引用です。 <現在、我々が手にする系図は一朝一夕にして作られたものではない。世の変遷と共に世相を反映して、当時の人が懸命に考えた末の傑作であることを思えば、虚構とか偽作とかの言葉、何かそぐわないように感じられるのだ。ただし、現在、郷土史紹介のパンフレットなどに使われている「大村千年の歴史」とか「大村正史によれば」などの言葉は、謳い文句とはいえ、これは止めるべきである。> このむすびの論文の注目点は、(<>内は引用箇所で太字は私が付けました)<現在、郷土史紹介のパンフレットなどに使われている「大村千年の歴史」とか「大村正史によれば」などの言葉は、謳い文句とはいえ、これは止めるべきである。>のところです。 まさしく、この通りで私は上記の記述部分については賛同致します。また、この論文と現在も大村市がとっている2005年のパブリックコメントとは全く相反する記述と言えます。さらに一番観光客や市民の方の目につきやすい大村市指定史跡の案内板(右上写真、撮影日は2006年2月19日)も同様です。これ以外にも、これまでこのページで取り上げて来た大村の歴史(偽装の)案内板は、まだまだ(民間レベルで掲げている案内板含めれば相当数)あります。 あと、既に何回となくこれまで紹介してきましたに参考文献、本、書籍一覧表を書かれている先生方も、今回これらを参考にしてホームページを書いている私も、江戸時代に偽装の系図や歴史を書いた大村藩の方に対する非難や批判が主目的ではなく、これらを2006年現在もそのまま継続して使っていることを指摘しているのです。 また、これらの指摘は急に起こったものではなく、既に参考文献、本、書籍一覧表のページに書いた通り明治時代(黒板勝美氏)や戦前戦後(太田亮氏)時代の頃より指摘されていた事項ばかりです。それらを受けて1970年代から1980年代には大村史談会の各先生方や長崎県や大村の歴史にも大変造詣の深い外山幹夫氏の各本など、一気に見直す機運が熟し、実際当時大村の公的機関で発行された本や論文集でも、その主旨で書かれていることは以前のページで紹介した通りです。 この1970年代から1980年代に全面見直す絶好のチャンスの時に、そのブレーキ役を果たした方は一体誰でしょうか。もしも、この当時大村市で全面見直しになっていれば、その後作られた各書籍、ホームページ、案内板、マスコミ報道など全面的に変わったはずです。(かく言う私自身も、このようなホームページは作っていなかったはずです) とりわけ好意で大村のことを紹介して下さっている大村市外のガイドブック、ホームページやマスコミ報道(当然、第一次責任はありませんが)の方々に及ぼした影響は、計り知れないほどの数と思います。 当然、偽装の歴史を書いたまま絶版になった印刷物などは無数に及ぶことでしょう。まだ文章訂正は可能なホームページに関してですが、私の予測ながら仮にホームページに本人の意図とは無関係で結果として偽装の歴史を掲載しておられる方々に訂正を求めたとしてもかなりの期間かかると思います。 今では結果論にしかなりませんが、遅くても1980年代に偽装の歴史を指摘された各先生方が言われた通りに訂正しておけば、これほどまでには”被害”(ただし、耐震偽装や食肉偽装などと同じように国民生活に直接被害が出ると言うことでは決してありませんが)は広がらなかったと思います。 正々堂々と正して欲しい いずれにしましても、長年にわたり各先生方が言われている通り、次の主にふたつのこと 1)「大村千年の歴史」、「大村氏系図(大村純忠の一代前あたりから以前の系図)」、「藤原性」、「四国出身」など一連の関係する記述の全項目の全面削除と正しい歴史の記述 2)大村純治と同一人物と呼ばれている「大村純伊」の「中岳の合戦や一連の逃亡説」、「領地回復」、「大村寿しや郡三踊の起源説」など関係する記述の全項目の全面削除と正しい歴史の記述 を大村の公的機関にお願いするものです。それは当然現在出回っているパンフレット、本、ホームページ、案内板、マスコミ発表関係など全ての見直しにもなることでしょう。(両論併記とか部分削除では、再び偽装と誤解を招く元になるので、全面削除が再スタートの最良方法と思われます) しかも、これだけ結果として偽装の大村の歴史が”定着”している現状において、どこかの行政府や自治体がやっておられるような、コソコソ、ひっそり秘密裏に改訂するのではなく、正々堂々と大々的に変えて欲しいと思います。 例えば、マスコミ発表、広報誌、パンフレット、書籍類やホームページに詳細掲載する方法など、とにかく構えを大きくして、特別にページ数をさいて大きく発表して欲しいと思います。そうでなければ、これだけ民間レベルで”定着”している上記の事項ですから、短期間に簡単に変わらないと思えるからです。 また、中には諸般の事情により、”今までの記述”でいいと言う方々もおられるかもしれません。しかし、大村に来て頂ける観光客の方、これから大村の郷土史を学ぼうとする学生さんや市民の方に、偽装の歴史を教えるようなやり方が果たしていいのでしょうか。たとえその時は良くても帰られた後で大村の歴史は偽装であったと気づかれた時の大村に対する印象はどうなるでしょうか。 また、面白おかしく「偽装の歴史を使って”歴史観光立市を目指している大村市。全国の自治体で初めてではないか」とか「大村に観光に行って偽装の案内板や市の指定史跡が、いくらあるか数えてみよう」とか、ホームページや印刷物に書かれる可能性も全くないとは言い切れない時代なのです。それらに対して「そんなことは、嘘八百のでたらめだ」と反論できるでしょうか。 たぶんに真面目に(郷土史などの)”目的追求型の観光”をされた方に限って、余計に”偽装の歴史”を教えられた後のリアクションは大きいと思われます。 幾世代にわたっても輝きを放つ素晴らしいものにするために また、別の意見として「これら(偽装の歴史事項)を全部、削除したら大村の(中心部の)歴史は何もなくなるのではないか」と言う話もありました。むしろ、これは逆の話で元々歴史上なかったことを偽装して付け加えたからのことで、そのため実際歴史上あった周辺部の事項まで(詳細に書きませんが)そのため軽視されてきたことでもあるのです。 現在の大村中心地よりも真に長い歴史のある周辺部を本当の意味で最初から軽視しなければ現代においても”歴史ある大村”の呼称は何も揺るぎないものと思われます。それは市政合併後、当然なすべき事柄だったはずなのですが。 これまた、繰り返しになりますが、江戸時代から続いてきた偽装の”大村の歴史”ですから、中には”定着”、”愛着”、”商売上”もあるかもしれません。でも、これから大村に来られる観光客のため、これから郷土史を学ぼうとされている学生さんや市民のためにと言う一点に絞って、是非とも上記の2項目の通り全面削除と全面改訂をお願いするものです。 むしろそのことが、「大村に行ったら花と緑と食も素晴らしい、長い歴史のある周辺部も探訪した、中心部も見た」となりはしないでしょうか。観光は何か特効薬とか博打みたいに直ぐ答は出ないでしょう。 でも本当の自然の豊かさと、これまで長い年月かけて人が築いた歴史あるいはこれからも人が作り出すであろう様々な魅力は、嘘偽りの歴史観や上物・箱物より、幾世代にわたっても輝きを放つ素晴らしいものだと思います。 (掲載日:2006年6月5日)
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