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お殿様の偽装
22)おおむら浪漫2
大村の歴史を考えるシリーズ
お殿様の偽装
なぜ、この問題を取り上げたのか、その2

なぜ、この問題を取り上げたのか、その2
この「なぜ、この問題を取り上げたのか、その1」に続いて、このページは「その2」を書いています。

3)大村市の歴史案内人養成講座の資料(年表)
 参加された方にお聞きすると、この講座は読んで字のごとく、大村市に来られ歴史に興味のある観光客の方に案内できる人を養成される講座とのことでした。この講座や案内人の主旨自体いいことで、案内人になられた方は是非ご活躍されますことを祈念しています。

 ただ、私がこの講座で配布された資料や年表を見て、がく然としました。その中には、(前ページでも紹介した通り)ほんのちょっと「大村家記録による」との但し書きみたいなものはありますが、江戸時代大村藩が偽装した歴史が入っているのです。

 念のため、私は、直接講座を聞いた訳ではありませんので、これらの説明をどのようにされたかについては、知りませんが資料(年表)だけ見て、前ページで紹介しましたパブリックコメントの市の考え方となんら変わらないものだと思いました。

 案内人を目指して講座に参加された方=これから大村市の観光に活躍されることが期待される方に、配布された資料は(年表)は果たして、適切なのでしょうか。但し書きを付けながら観光客の方に話されるから、この年表では偽装の歴史を話したことにはならないと言うことでしょうか。

 また、大村市以外、長崎県外の方で歴史に詳しい方がホームページのいくつかに既に大村の歴史(特に系図など)について、非常に柔らかな表現ながら「疑わしい」とか「異説がある」など指摘されています。もしも仮にこのように大村の歴史に詳しい方が観光客として大村市にみえられ、万が一でも「案内人さん、あなたの説明は但し書き付きでしたが、それは偽装ではないですか?」と質問されたら、どうなるのでしょうか。

 数十年前の本など印刷物オンリー時代なら、「大村人の、大村人による、大村だけで通用する歴史」でも、まだ観光客の方に説明しても、情報がお互いに少ないのですから、やむを得ないことだったかもしれません。しかし、インターネット時代に移っても、今までの見解・やり方で、果たしていいのでしょうか。

 この種の説明は、せっかく大村市の観光のために頑張って下さる歴史案内人さんの力量の範囲内と、私は思えないのです。観光客の方が、たとえ、その時は満足して大村から帰られたとしても、後日、大村の歴史をホームページなどで検索されて、案内人さんの説明と違うことを確認されたら、その方はどう思われるでしょうか。私は事前よりも、事後の方が信頼関係も含めリアクションが強いと想像しています。


4)長崎のテレビ局と新聞社の報道
 私事ながら私は生まれも育ちも大村市ながら大阪に25年間暮らし、その後また実家近くに戻ってきました。その時期、一部の事件・事故を除けば長崎県内のマスコミ報道はその多くが、いつも長崎市内中心の構成になっているなあと思いました。

 そのような中、近年ある民放さんが嬉しいことに大村関係の歴史をシリーズみたいに毎年放送されました。企画はもちろんいいのですが、一部残念ながら今回のテーマがそっくり入っていました。それで、私は、番組内容を評価しつつ、率直に「テレビ局さんには第一次的な責任はないですが、この件については・・・・」との感想をeメールに書いて送りました。それに対し、ご丁寧に「今後生かしたい」との主旨の返信がありました。

 2005年10月初旬、ある新聞社が大村の伝統・郷土芸能などを特集(「大村・東彼偏」)すると言う事前紹介がありました。私は、大村のことが特集されることを喜びつつ、しかし、ひょっとしたら、また、偽装の歴史が書かれるのではとの危惧の念も持ちました。

 それで、すぐさまeメールで特集が発表される以前に「この特集を評価を持って期待しつつ、ただし大村の歴史は偽装されたまま今も使われている。どうか、それだけは書かないで欲しい」との主旨で具体的事例も上げて、新聞社にお知らせしました。しかし、2回ほど残念な表現が見当たってしまいました。

 1回目の偽装の歴史を掲載された直後、具体的かつ詳細に問題点を記して訂正のお願いも含めて感想と言う形でeメールで書き送りました。

 その指摘内容について、私のような素人では信頼されていないと思い(以前のページで既に紹介しました)著名な学者さんが書かれた本の名前もいくつか挙げて、「貴紙は、偽装の歴史を追認する側ではなく、できればチェックする側にまわって頂きたい」との字句も書き加えました。

 しばらくして、また、2回目の偽装の歴史記述が書かれていました。しかも、今回は偽装の中で極めつけの表現「大村千年の歴史」との記述でした。早速「公的機関が出している文章は、全部正しいのでしょうか?」との見出しで、感想を書き送りました。また、「このような偽装の歴史を子どもさんや観光客の方に教えるのはいいのでしょうか」との主旨も書き添えました。

 しかし、この新聞社は何らの反応もないまま(当然文章訂正もないまま)最後には別冊タブロイド版形式の総集編が作成されました。全体の特集内容は評価しましたが、これらの点だけは、第一次責任はないものの新聞社の姿勢に疑問を感じました。

 丁度この新聞社の特集編が組まれた同じ時期、全国では耐震偽装問題がテレビ・新聞などのマスコミ各社で、大々的に報道されていました。同じ”偽装”と言う表現でも、この『耐震偽装問題』と『大村の偽装の歴史問題』とは、象と蟻みたいなもので後者は国民生活に直接影響ないかもしれません。しかし、偽装の歴史はこうやって長年色々なところで繰り返されるのだなあと、この新聞を見ながら、つくづく思いました。

 前ページの後半に、この偽装の歴史問題は1990年以前頃に<学者さんや郷土史研究家の方々の間では、もうほぼ完全に「偽装の大村の歴史」は見直され、決着済みになりかけていました。しかし、なぜまた、このテーマがその後、息を吹き返し・・・・>と書いています。なぜ、「息を吹き返すのか」、それは、上記のような生きた事例が物語っているように私は思えました。


観光客の皆様や子どもさんたちに偽装の歴史は教えられない
 以上、「なぜ、この問題を取り上げたのか、その1」と、このページ「その2」を書きました。結局のところ「偽装の大村の歴史」の表現は、一部但し書きみたいなことは書き加えられても(その書き加え自体も問題です)全体・基本は従来のままの内容が今後も繰り返されていくような気が私はします。

 「なぜ、この問題を取り上げたのか」のまとめは、はじめにのページと重複しますが、やはり、観光客の皆様や子どもさんたちに偽装の歴史は教えられないと言うことです。個人的な活動ながら私も「重井田町の天狗伝説」、「創作童話てんぐになった福ちゃん」などを、小学校、幼稚園、保育園、各町内会などで講演(プロジェクターによる上演)をしています。

 勉強嫌いで出来の悪かった私の学生時代には、とても考えられなかったことですが、大勢の子どもさんたちを前にして、正々堂々と大村の偽装の歴史などを(たとえ但し書き付きでも)話す勇気は、さすがにありません。大村に来て下さった東京や大阪の航空の方などを、私は市内の各所へ案内する時もたまにありますが、その時も同様です。また、これから、ご活躍されるであろう大村市の歴史案内人さんたちも、気持ちは同じではないでしょうか。

 次からは、先のページ「参考文献、書籍一覧表=大村の偽装の歴史を調べた書籍一覧表」で、日本や長崎県内でも名だたる学者さん達や大村の先生方が、努力して書かれた内容を、ご紹介したいと思います。

 先に述べました通り1990年頃には、この先生方のおかげで今回の問題は「見直され、決着済み」状態でした。しかし、それをまた改めて、私のような素人の者がホームページなどに書かざるを得ないのは、一人の大村市民として残念ですが、できるだけ簡潔に分かりやすいように書いていきたいと思っています。

 (掲載日:2006年4月20日)
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