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お殿様の偽装
22)おおむら浪漫2
大村の歴史を考えるシリーズ
お殿様の偽装
なぜ、この問題を取り上げたのか、その1

なぜ、この問題を取り上げたのか、その1
 この「なぜ、この問題を取り上げたのか」については、その概要を既に『はじめに』に書きました。それは2003年にお二人の言葉を聞いてからでした。さらに、その後も、この「大村の偽装の歴史」を追認するかのような事項が次々と起こっています。今回のページから、その具体例をこのページに書きたいと思います。

1)「大村市総合計画基本構想」(案)に関するパブリックコメントの意見や市の考え方について
 2005年秋頃に「大村市総合計画基本構想」(案)に関するパブリックコメント(総申出者数=17、総意見数=94)が出されました。この中で、今回のテーマと関係あるものとして、第T編第3章 背景について(意見数=18)があります。

 この中で大村市民の方が、下表のような意見を出されています。(蛇足ながら、私は意見を出していません)何名かの方は、ズバリ「大村千年の歴史」と言うのは偽装そのものだと指摘されています。

 それに対し、市側は市民が指摘されている偽装のことには触れずに、概略「大村家の記録にある」(注:994年前に大村に来たので)「大村千年の歴史とも称され」と書いてあります。私は、このパブリックコメントを見た時、市側の考え方は、偽装とも偽装でないとも言わないで、しかし偽装の歴史を事実上さらに紹介したいような考え方だと思いました。

 つまり、分かりやすく表現するなら例えば「この着物は絹100%製品とラベル表示してあるのに、中身は化学繊維50%入りの合繊着物だ。品質保障上、偽装ではないか」と消費者が指摘されているのに、品質保証をするような機関が(独自の評価結果は言わず、「いや、メーカーが絹100%と言っているから大丈夫ですよ」と同じように聞こえます。
(大村市総合計画基本構想」(案)に関するパブリックコメント) 4 第T編第3章 背景について
番号
意見等の概要
市の考え方(概要)
大村氏による統治が千年続いたから「大村千年の歴史」と称するのはおかしな話である。史実に基づかない、いい加減な歴史認識では、市民(子ども)に郷土を知らせ、郷土を愛する心情を育てることはできない。(大村氏が994年に大村入りし、それ以来大村を支配していたという史実はない。) 大村が持つ特徴的な歴史として、大村純忠以降の歴史を紹介しています。大村家の祖先が大村にやって来たのが994年と記録されていることから、「大村千年の歴史とも称され」と記載しています。
千年の歴史といいながら、440年前のことからしか記述されていない、純忠から江戸時代の城下町を大村の歴史の目玉とするなら、せいぜい500〜400年の歴史である。純忠の前に「大村千年の歴史」と銘打つ理由がない。また、古代遺跡が、野岳遺跡、富の原遺跡などを含めてのことなら、大村の歴史は1万年以上の歴史となる。

 (後のページで詳細に書く予定ですが)専門の学者さんも郷土史研究家の方も、あるいは上記のような市民の方も、大村家の記録については、最初からご承知の方ばかりです。だからこそ、「大村千年の歴史」と称するは偽装だと指摘されているのです。

 そのような方々の意見に対し、さらに従来通り全く変わらない「大村家の記録にある」と言う書き方は、結局、「偽装の歴史だ」との市民の指摘より、 市の考え方(概要)は、大村家の記録を優先した考えと言われても仕方ないことだと私は思いました。

 封建的な江戸時代や民主主義がまだまだなかった戦前ならばいざしらず、2005年の大村市のパブリックコメントに全く史料(資料)の裏付けのない歴史認識を優先して書くようなやり方が果たして、いいものでしょうか。


2)『大村市の文化財』(改訂版)に追加された資料について
 先にあくまで私個人の評価ですが、この『大村市の文化財』と言う本は「偽装の大村の歴史」記述など多くの問題点はあるのですが、私のような初心者にも大村の歴史が大変分かりやすく、写真も適切で、毎回良く見て参考にしている本です。

 この『大村市の文化財』(企画・編集:大村市教育委員会)の初版本は、1990(平成2)年3月31日に発行され、改訂版は2004(平成16)年3月26日の発行です。改訂版の説明には、<本書は、平成2年発行の「大村市の文化財」に訂正、加筆をし、改訂したものです。」と書いてありました。ページ数は232ページから238ページに増えています。

 対比表がないので私の調べた範囲内ですが、削除ページもありますが追加ページもありました。その追加の中で、今回のテーマにしています(江戸時代に偽装されたと言う)「歴代大村家一覧」と言うページが1ページ挿入されています。

 しかも、文化財の位置を示した地図と歴史年表の間に掲載されています。正誤表みたいにして、別紙ページで追加されたのではなく、本文に堂々と書かれてあります。ただし、表の下に「※大村家の資料による」と一行但し書きが入れてありました。

 なぜ、初版本になくて、改訂版に追加されたか、この点について、私なりに考えてみました。それを記すには、まず初版本が発行された1990(平成2)年3月以前、今回テーマを巡る状況(背景)があります。

 それは、江戸時代からずっと従来言われ続けてきた偽装の歴史を告発する本や講演が現在よりも、この1990年以前に数多く見られます。私のような一般の者でも図書館で閲覧できたり、中には購入・入手できた本がいくつか、この時期に発行されていました。

 例えば『大村史談第13号』(大村史談会、1977年発行)、『大村純忠』( 著者:外山幹夫氏、1981年発行)、『中世九州社会史の研究』( 著者:外山幹夫氏、1986年発行)などです。(詳細は、前ページの「参考文献、書籍一覧表=大村の偽装の歴史を調べた書籍一覧表」をご覧下さい)

 ほかにも、大村市教育委員会から発行された<国選択無形文化財>『大村の寿古踊』(1984年)、『大村の沖田踊』(1983年)、『黒丸踊』(1985年)にも、三踊の起源と「大村純伊」伝説(帰還祝勝祝いの踊り)と結び付けて書くのは「承認できない」、「信頼しにくい」との主旨で、この当時の冊子は作られています。

 だから、『大村市の文化財』初版本が出来た(1990年3月)当時、偽装の主柱になっているような「歴代大村家一覧」などは、とても載せられなかったと思います。もしも仮に、単純な掲載忘れなら初版本には正誤表まで別紙で添付されて売られていましたから、この偽装の系図は後で追加しようと思えば追加できたはずです。

 この当時、学者さんや郷土史研究家の方々の間では、もうほぼ完全に「偽装の大村の歴史」は見直され、決着済みになりかけていました。しかし、なぜまた、このテーマがその後、息を吹き返し、堂々と『大村市の文化財』、大村市の広報誌、大村市のホームページなどに掲載されていくのか、後で詳細に触れたいと思っています。

 (掲載日:2006年4月18日)
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