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2020年7月6日、大村水害(豪雨被害)  水害要因(原因)とダムとの関係
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2020年7月6日、大村水害(豪雨被害) 水害要因(原因)とダムとの関係

水害要因(原因)とダムとの関係-----なぜ、今回(2020年7月6日)の雨量が「昭和32年の大村大水害」に比べ圧倒的に少ないのに、一部の地域で被害が大きいのか?

 このページの本題<水害要因(原因)とダムとの関係>に入る前に、改めて雨量(気象)関係について書きます。なぜなら、2020年7月6日、大村水害の直後からのマスコミ報道によって、まるで今回の雨量が、「大村の歴史上、最大雨量」とか「史上最多雨量」だったと誤解されている方が非常に多いためです。実際、私が、水害の聞き取り調査(2020年9月末現在で80人強)した中でも、1957(昭和32)年 大村大水害を体験した老人世代を除き、ほぼ全ての方々が、マスコミ報道内容によって勘違いをされていました。

 念のため、先の「大村の歴史上、最大雨量」などの表現は、大間違いです。ご参考までに、上野は、この件で、2020年7月29日、大村市役所記者クラブ加盟各社へ、<今回水害時の「大村の雨量」で「最多」とか「最大」は正しい表現でしょうか?>との文書(本文2ページ、資料4ページ)を提出しました。しかし、その後、再検証の報道などは、ありませんでしたし、先の文書についての問い合わせも皆無でした。そのようなこともあり、改めて、まずは下記の注1や、黄色枠線内を参照願います。

 注1:2020年7月6日、大村水害(豪雨被害)」の雨量などについては、先に掲載中の気象」のページを参照願う。今回の雨量を極簡略化すれば、次の太文字通り。

 2020年7月6日、 日降水量(24j時間雨量)(合計)357.0mm 、 日最大1時間降水量 94.5mm

 1957(昭和32)年 大村大水害に比べ、今回「2020年7月6日の大村水害」の雨量が、24時間も1時間雨量も圧倒的に少なかった。(分かりやすく不等号を付けると下記の通り)
  A)24時間雨量----------1957(昭和32)年が732.0ミリ  2020(令和2)年が384ミリ
  B)1時間雨量-----------1957(昭和32)年が141ミリ   2020(令和2)年が94.5ミリ

 上記二つ雨量をパーセント表示にすると、1957(昭和32)年 大村大水害に比べ、今回は24時間雨量で52%、1時間雨量で67%であった。さらに分かりやすく大雑把な表現に変えると、24時間雨量対比ならば約半分で、1時間雨量ならば2/3強程度だった

 繰り返しの表現になりますが、上記の通り、今回「2020年7月6日の大村水害(豪雨被害)」の雨量が1957(昭和32)年 大村大水害に圧倒的に少なかったのに、なぜ被害が一部地域については、大きかったのでしょうか? この要因(原因)分析と対策が、本ページの主な内容です。

<被害場所によって、その水害要因(原因)は異なる>
 今回、河川別に大別すると、例えば郡川佐奈河内川野田川石走川(よし川)、南河内川、大上戸川、鈴田川、針尾川、小川内川などに被害が出ました。その被害要因(原因)の共通項は、1957(昭和32)年 大村大水害よりは圧倒的に少なかったにせよ、多雨であったことには、変わりありません。

 しかし、個別の河川別としたら、様々な要因も違ったり、あるいは重複した内容があることが、私なりに分かってきました。そのようなことを、これから書いていきます。ただし、この内容は、あくまでも8月末現在であり、その後さらに検証を加えて補足や改訂もしていきますので、その点は、あらかじめご了承の上、閲覧願います。

1)福重地区の水害要因
 大村市内の地域を大別すると、8地区(北から松原・福重・竹松・萱瀬・西大村・大村・鈴田・三浦地区)あります。その中で福重地区には、10町内あります。今回の水害では、一部の町を除き、ほぼ全部が大小の別なく被害がありました。その被害状況の写真は、福重地区の水害状況(写真と説明文)ページから、参照願います。

 また、住宅被害(床上・床下浸水)がひどかった町は、今富町や皆同町でした。それに併せて先の2町だけでなく、重井田・立福寺・野田・弥勒寺・草場・福重の各町では、耕作地(田畑など)、用水路、道路、山林、崖、車両、JR線路盛り土の流失や河川の堤防などに大きな被害が出ました。この福重地区の被害の統計表については、「2020年7月6日、大村水害(豪雨被害)  被害状況 」ページの『福重地区の被害状況』から参照願います。

 あと、福重地区内を流れる河川には、主に郡川(本流)佐奈河内川石走川(下流ではよし川)馬込川(下流では染谷川)などがあります。この本流・支流とも全ての水系で、今回被害がありました。水害要因について調査・研究するならば、本来、先の河川ごとにまとめていくのが必要だとも思えます。しかし、4河川もあると必ず重複内容もありますので、概要のみから下記に列記していきます。

 (1)「1957(昭和32)年 大村大水害」より 2020年7月6日、大村水害(豪雨被害)の雨量」(気象データ)雨量は、大雑把にいえば約半分だったが、通常よりは大雨ではあった。

 (2)古い石垣、改修や強固にされていない堤防の損壊や決壊が多かった。(特に、川がカーブしている所)

 (3)郡川(本流)を除けば、どの川も川幅が狭く、さらには底が浅かった。(川底から堤防の高さが1m強か1.5mもない所も多く決壊していた) つまり、大雨が降れば、その水量をさばき切れない川ばかりだったということである。

 (4)佐奈河内川の下流から郡川(本流に流れる前の場所=今富町で、「バックウォーター現象(逆流現象)」が発生したことが大きな被害をもたらした。つまり、佐奈河内川の水が、郡川(本流)の水位(圧力)に負けて、行き場を無くし、低地の今富町と皆同町へ、まるで新しい川のように濁流が流れ下った。時間軸の検証では、郡川(本流)の上流部にある萱瀬ダムの放流後に、この「バックウォーター現象(逆流現象)」がひどくなったと推定される。

 (5)「1957(昭和32)年 大村大水害や「昭和37年の大村水害」を教訓に造られた佐奈河内川の上流部にある重井田(防災)ダムが、本来の役割を果たしていなかった。

 (6)「1957(昭和32)年 大村大水害」を教訓に造られた萱瀬ダムの運用が適切だったのか? この萱瀬ダムの放流が、萱瀬・福重・竹松地区での郡川堤防の損壊、および佐奈河内川の「バックウォーター現象(逆流現象)」の要因ともなっている。

 (7)大村市ハザードマップに色塗りされている地域での住宅設計(特に基礎高)は、適切だったのか? とりわけ、基礎高の違いによって同じ町内の隣近所同士でも、「住宅の被害なし、被害あり」に別れている。

 上記の「水害要因」は、あくまでも2020年12月現在の内容です。今後も関係各位のご意見、聞き取り調査や検討を加えて補足、改訂を繰り返す予定です。
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   (後半部分=「水害の要因」は、できるだけ個別の河川あるいは地域別内容で準備中。順次掲載予定ですので、しばらく、お待ちください)



2)松原地区の水害要因


 (この原稿は、しばらくお待ち下さい)


3)松原地区の水害要因


  (この原稿は、しばらくお待ち下さい)


4)萱瀬地区の水害要因


 (この原稿は、しばらくお待ち下さい)


5)鈴田地区の水害要因


 (この原稿は、しばらくお待ち下さい)


 *なお、上記の水害要因(原因)の件で、ご意見をお持ちの方あるいは「岩松駅周辺で国道34号線が冠水した写真」または「マックスバリュー諏訪店の駐車場の冠水写真」をお持ちの方、よろしければはお手数かけますが、メールは、このページからお願いします。

 (初回掲載日:2020年8月31日、第2次掲載日:2020年1月3日、第3次掲載日: 月 日、第4次掲載日: 月 日、第5次掲載日: 月 日、第6次掲載日: 月 日)


関係HP  2020年7月6日 大村水害  大村市・福重地区の水害状況(写真と説明文) 掲載中
 1957年7月25日〜26日発生  1957(昭和32)年 大村大水害
掲載中


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