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大村の自然(山、川、滝、巨岩、石、洞窟、島、景観、その他)シリーズ  鳥甲岳(とりかぶとだけ) 

鳥甲岳(とりかぶとだけ)
(写真1)黒木町側から見た鳥甲岳(とりかぶとだけ、769.4m) 注意:頂上部(三角点)は写真中央部より数百メートル右奥方向にある。(撮影:2017年4月27日)
 (写真2)中岳町(南河内)側から見た鳥甲岳<中央左側が三角点のある頂上部(769.4m)> <右側のピークは鳥甲城跡=現・摩利支天宮(標高約751m)、
概要紹介 
 
名称:鳥甲岳
(とりかぶとだけ)、別名=「鶏冠山」ともいう    標高:769.4m
 所在地:長崎県大村市黒木町、中岳町

 特徴など:鳥甲岳(とりかぶとだけ)の形成は、多良山系火山の造山活動からと思われる。そして、その噴火口(ふんかこう)は現在の黒木町の窪地(くぼち)とも言われている。この周囲にある主峰の経ヶ岳(きょうがだけ、1076m)を始め笹ノ岳(ささのだけ)、多良岳(たらだけ、996m)、中岳(なかだけ、1000m)、五家原岳(ごかわらだけ、1057m)などは、その多良山系火山の外輪山(がいりんざん)が残ったものと推測されている。

(写真3) 黒木町側から見た雪の鳥甲岳
 この鳥甲岳は、その外輪山につながっているように見える。そして、この山容は、黒木町側から見れば(写真1と3参照)、まるで鶏の鶏冠(とさか)のようだ。そのため、古くから「鳥甲岳(とりかぶとだけ)、別名=「鶏冠山」ともいう」と呼ばれ、その名が付けられたと思われる。

 念のため、黒木町側から見たら「鶏冠(とさか)」に見える所は、尾根の伝いの一つの岩場であり、本当の頂上ではない。この岩場は、三角点のある鳥甲岳の頂上(769.4m)より、5mくらい低い位置になる。中岳町(南河内)側から写した(写真2)の最上部は、三角点のある頂上部(769.4m)である。

 (写真2)参照。 中岳町(南河内)側から見たら、この鳥甲岳は、反対側の黒木町側からの山容と全く違うように見える。(写真2)の左側にある頂上部から左右(東西)に延びる山の稜線(りょうせん)は、なだらかな感じさえする。ただし、右側(東側)の登山道は、先に紹介した岩場の手前側約200m近くは細くて岩続きの急登である。

 あと、中岳町(南河内)側から登山すれば、(写真2)の右側の稜線で、少し低くなったようにも見える所がある。この地点から左側(西側)方向が鳥甲岳の頂上への登山道、逆に右側(東側)方向が、まるで散策路みたいで、なだらかな尾根道の先が、鳥甲城跡(標高約751m)摩利支天宮である。
(写真4) 尾根伝いで「鶏冠(とさか)」に見えている周辺の岩場
(写真5) 鳥甲岳の頂上部と三角点(広さはあるが、周囲の眺望は無い) 

1)山の形状など
 山容<さんよう= 山のかたち。山のすがた。(広辞苑より)>を語る場合、日本全国には、富士山に似ているので「◯◯富士」、将棋の駒に似ているので「◯◯駒・・」、武器の槍に似ているので「◯◯槍・・」みたいな正式名称や通称含めて沢山ある。特に、「富士」の付く山の頭には、例えば「蝦夷富士(羊蹄山)」「薩摩富士(開聞岳)」というように昔の国名がついて、ご当地自慢といいますか、その地域を代表する山が多い。

 長崎県にも「相浦富士(あいのうらふじ)」=愛宕山(佐世保市)もあり、さらにはキャッチフレーズ的に「九州のマッターホルン=虚空蔵山(川棚町)などもある。このように何かに似ている山は、標高の高い・低いとか、山の形が良い・悪いなどと関係なしに、それだけも興味湧くものである。(中には「遠くから眺めるだけが良かった」との意見もあるが)

 (写真1と3を参照) 今回の鳥甲岳も、ネット検索してみると、全国には例えば同じ名称「鳥甲岳」を始め「鳥甲山」「鶏冠山」などの山名も、いくつかある。そのいずれも山容(山のかたち)が、鶏の鶏冠(とさか)に似ているからであろう。

 そして、私「大村人」の身びいきかもしれないが、黒木町から見た鳥甲岳は、全国にある他の同名称の山よりも、その山容は鶏冠(とさか)に似ているように思える。また、大村には、例えば荒々しい三角形状の経ヶ岳(きょうがだけ、1076m)、丸みを帯びた優しい感じの郡岳(こおりだけ、826m)などもある。しかし、この鳥甲岳の山容は、大村の他の山と、比べものにならないくらい非常に独特な形をしていて、見た人の誰もが印象に残ると思われる。

 ただ、少し残念なのは、黒木町側から見た「鶏冠(とさか)」に見える所は、尾根の伝いの一つの岩場であり(写真4参照)、本当の頂上ではない。この岩場は、三角点のある鳥甲岳の頂上(769.4m)より(写真5参照)、5mくらい低い位置になる。中岳町(南河内)側から写した(写真2)の最上部は、三角点のある頂上部(769.4m)である。(頂上部=三角点のある所は写真5を参照)

 あと、地形も素人の私の考えながら、この独特の山形状が、なぜ大昔から長年維持・継続しているかをいうと、それは、「鶏冠部分の周辺が全て岩場」だからであろう。ただし、いくら岩でも、長年の多雨や風雪によって形が変わる場合もあるが、できれば鳥甲岳の「鶏冠」部分は、これからも、ずっとこのままであって欲しいと願っている。

・黒木町からと中岳町からでは山容が違って見える
 この山名の由来ともなっている黒木町(北側)から見た「鳥甲」や「鶏冠」については、既に先の項目に詳細に書いているので、この項目では省略したい。逆に、この山の南側=中岳町(南河内)側から見た山容については、これから書いていく。(写真2)の左側にある頂上部から左右(東西)に延びる山の稜線(りょうせん)は、なだらかな感じさえする。

(写真2)中岳町(南河内)側から見た鳥甲岳<中央左側が三角点のある頂上部(769.4m)>
<右側のピークは鳥甲城跡=現・摩利支天宮(標高約751m)
 あと、中岳町(南河内)側から見れば、(写真2)の通り、一番高い所が、三角点のある鳥甲岳の本当の頂上(769.4m)である。一見なだらかで稜線が左右(東西)のように見えている。しかし、頂上から右側(東側)へ約200mは岩場もある細い坂である。そして、東側へは摩利支天宮へ行く道、南側へ下れば登山口という3方向分岐の所(案内板の所)は、平坦な所である。

 逆に、頂上から(写真2)の頂上から左側(西側)へ下る登山道はないが、比較的緩やかで広い尾根形状が続いている。そして、先の写真にも写っているが、一見平地みたいな所もあり、(頂上から目測すれば)数百メートル下ると林道(舗装道路)に到着する。

 あと、頂上から東方向に下った先の3方向分岐の所(案内板の所)から東方向へ進めば、まるで散策路みたいな尾根道である。この100m 強の先に、鳥甲城跡(標高約751m)摩利支天宮がある。この場所については、先の2つのリンク先もしくは、下記項目「2)歴史など」を参照願いたい。

摩利支天宮(750.7m、鳥甲城跡、西側に大手=
城の正面があったと言われている
)
2)歴史など
・鳥甲城(日本最高所の城跡)
 この鳥甲城跡については、既に「鳥甲城跡(標高約751m」ページに詳細に記述している。そのため、本ページでは、概要のみを書いて紹介にかえたい。この城跡の場所は、大村市中岳町 字「(南二日向(みなみふつかむき)」と黒木町の境界で、現在の摩利支天宮の境内と思われる。

 ここの広さは、上野調べで横幅約7m、奥行き約18mの真っ平らな所で、さらにやや傾斜面を入れると奥行き全体では30m弱ある。標高は、(掲載地図通り)約751mで、この高さは、日本一の山城と呼ばれている岩村城(717m、岐阜県恵那市岩村町)より、さらに約33mも高い位置である。

 また、この場所は、ゆるやかな尾根道以外、三方に険しい谷があり、大きな岩場が直立している所である。そのために、城を守るための石垣などは、不要だったと思われる。

 なお、江戸時代の(大村)郷村記によれば、次の事柄も記述してある。大村純忠の三男である大村右馬之助純が、鳥甲城で剣術の修業をした。その後、三尺(約91cm)の太刀を大きな岩の間に納めた。この太刀を御神体として、摩利支天を祀った。

3)摩利支天宮
 摩利支天宮ついては、既に「摩利支天宮」ページに詳細に記述している。そのため、本ページでは、概要のみを書いて紹介にかえたい。この摩利支天宮創建の詳細までは、不明である。

(左下部が))摩利支天宮の本宮 (上部に大きな岩がある)
 しかし、戦国時代、大村純忠の三男・大村右馬之助が、鳥甲城で剣術の練習をおこなった。その時に使った太刀を後世の人が大きな岩の下に祀ってきたことが由来である。そのようなことから、摩利支天宮創建は、この大村右馬之助が活躍した後と推測される。

 場所は、主に二つあり、登山口から登れば、まずは鳥甲城跡と同じ所で、現在は摩利支天宮の境内である。ここには、石碑や石塔類があり、横幅約7m、奥行き約18mの真っ平らな所である。そして、ここからさらに東側へ進み、下れば大きな岩がある。(右側の写真参照) 

 その岩場の下に摩利支天宮の本宮がある。ここには、小さな鉄製の鳥居、奉納された(模造の)刀が奉納されている。さらに、この下部方向に、稲荷の神(お稲荷様)もある。

 なお、標高が約750mもある摩利支天宮へ参詣に行くのは、健脚の方以外は、なかなか簡単に登れない。そのようなことから登山口からさらに低い標高約500mの道路脇には、摩利支天宮の参詣所(石碑のある場所)がある。また、この石碑の手前側(西側)には、鉄製の大きな鳥居が道路をまたぐように立っている。

補足


  (この項目は準備中。しばらく、お待ちください)


(初回掲載日:2021年8月2日、第二次掲載日:8月9日、第三次掲載日:8月11日、第四次掲載日:8月17日、第五次掲載日:8月21日、第六次掲載日:9月1日、第七次掲載日: 月 日)
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