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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 今富のキリシタン墓碑

(史跡説明板)今富のキリシタン墓碑
 名称:今富のキリシタン墓碑  様式:説明板
 場所:大村市今富町   設置者:大村市教育委員会
 設置年:1996年3月(平成8年3月)  GPS実測値:32度57分20.58秒 129度57分23.66秒
 全体の大きさ:高さ180cm、横幅103cm  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ70cm、横幅90cm  グーグルアース用数値:32°57'20.58"N,129°57'23.66"E

注:GPS実測値について、場所によっては若干の誤差がある。グーグルアースは航空写真上に表示するため、かなりの誤差が出るが、数値補正はしていない。(先の二つの事項は、あくまでも参考程度に、ご覧願いたい)

今富のキリシタン墓碑の史跡説明板(写真右側、左側の屋根の下側が墓碑)

史跡説明板写真周辺の説明
 この今富のキリシタン墓碑のある場所は、市道から少し坂道を登った、竹などが周囲にある丘にあります。これ以上、文章では説明しにくいので、上表右欄にあるGPS実測値を参考に場所の確認を願います。

 ここの史跡説明板は、その前側に木(写真の右端側に一部写っている)があります。この木が邪魔するような形になりますので、説明板に向かって真正面写真が、なかなか撮りにくいです。

 右側写真の左側から順に説明しますと、指定史跡を示す御影石の柱、中央奥側が墓碑、右側上部が今回紹介の史跡説明板です。あと、この写真には、写っていませんが、墓碑の奥側方向へ5mくらい行った所にも、いくつか石塔類があります。その中の一つが、六地蔵の一部と言われています。

 この今富のキリシタン墓碑の形状は、かまぼこ型をしています。この墓碑の右脇に、四角い「手洗鉢」があります。これも、元々はキリシタン墓碑を加工したものと言われています。そのため、これも、かまぼこ型形状です。

史跡説明板の内容
 右上側写真に写っている史跡説明板には、下記「 」内の文章が書いてあります。なお、原文は縦書きですが、ホームページ上、横書きに変えています。また、一部、改行を変えたり、送り仮名の位置を漢字後方の( )内していますが、それ以外は原文通りです。なお、(注1)(注2)などは、上野の注釈・補足です。

  「 県指定文化財 今富のキリシタン墓碑
  この墓碑は、半円柱蓋(ふた)石型のキリシタン墓碑で、墓石の上部、本来なら伏碑にした場合、正面にあたるところに、「台付干十字紋」を刻んだ典型的なキリシタン墓碑です。墓碑には、「天正四年丙子十一月十一日 不染院水心日栄霊 一瀬治部大輔」と刻んであり、墓の主は、一瀬越智相模栄正(いちのせおちさがみえいしょう) と考えられています。

  栄正(えいしょう)は、日本最初のキリシタン大名として知られる大村第十八代(注1)大村純忠が、永禄六年(一五六三)重臣二五人ととも に、横瀬浦で洗礼を受けた時の一人と言われ、天正四年(一五七六)に没し、 その子一瀬治部大輔(ぢぶだゆう)が、父のために墓碑を建てました。その後、キリシタン禁教時代となり、大村藩内 ではキリシタン墓地の探索と破壊が行われ、取り締まりが厳 しくなったため、墓碑を縦に起し、仏教の戒名を記し、仏式 墓碑に改造したものと考えられています。墓の右には手水鉢が置かれていますが、これも元は同様のキリシタン墓碑であったものを転用したものです。

  この墓碑は、わが国でも古い時期(注2)のもので、天正年間、領内に全盛を極めたキリシタンの名残をとどめるものです。 平成八年三月  大村市教育委員会 

(注1):この大村氏系図での「初代」(大村直純)自体が存在がしなかったと言われている。つまり、「大村氏系図」は「初代」から大村純忠の数代前まで江戸時代の大村藩による創作(偽装)の歴史である。(詳細は、「お殿様の偽装」ページを参照)したがって「十八代大村純忠」などの代数表記すること自体間違いである。ただし、江戸時代、大村藩主の代数で、初代藩主、二代目藩主、三代目藩主と表示するのは正確である。

(注2):「わが国でも古い時期」と表現されているが、これに対し異説も出されているようだ。


補足

 先の項目にも書きましたが、史跡説明板にある「この墓碑は、わが国でも古い時期」と言う表現は、現在では疑義が生じているようです。だから、その点の注意は、必要かと思います。しかし、大村市内においては数多くない県の指定史跡に違いはありません。何かの機会に、ご覧いただければと願っています。

 あと、この周辺の丘陵地帯(今富の丘)は、この墓碑から半径1km内に例えば黄金山古墳大神宮石割樫亀石尾崎城址不動寺跡と不動権現鳥越・伊理宇の合戦跡(とりごえ・いりゅうのかっせんあと)などの名所旧跡があります。そのようなことから、この一帯は、史跡巡りコースに向いている地域とも言えます。

・詳細な関係ページ:福重の名所旧跡や地形の『今富のキリシタン墓碑

(初回掲載日:2013年4月28日、第2次掲載日:4月29日、第3次掲載日:4月30日、第4次掲載日:5月2日) 


大村の史跡説明板・案内板シリーズ(もくじ)
「大村の歴史」シリーズ(もくじ)


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