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大村の史跡説明板・案内板シリーズ 松尾神社(まつのお じんじゃ)

(史跡説明板)松尾神社(まつのお じんじゃ)
 名称:松尾神社  様式:説明板
 場所:草場町(松尾神社自体が目印)  設置者:草場町内会、福重地区活性化委員会
 設置年:2016年3月1日(平成28年3月1日)  GPS実測値:32度58分08.32秒 129度57分15.26秒
 全体の大きさ:高さ117cm、横幅70cm  (国土地理院)地図検索用ページ
 本体の大きさ:高さ60cm、横幅70cm  グーグルアース用数値:32°58'08.32"N,129°57'15.26"E

草場町にある松尾神社と史跡説明板(中央手前側)
<写真中央奥が社殿、右側が土俵>

史跡説明板写真周辺の説明
 まず、右側1番目写真を参照願います。中央部に写っていますのが、草場町にあります松尾神社です。なお、念のため読みは、必ず「まつのお じんじゃ」です。写真中央手前側に白く見えていますのが、今回新設しました松尾神社の史跡説明板です。

 写真右側が、子ども相撲大会で使われる土俵です。この写真には写っていませんが、社殿の右方向(南西側)に階段、鳥居、さらに「草場の馬頭観音」、「草場の大日如来」などがあります。また、社殿の奥側(南東側)に、通称「元権現(もとごんげん)」と呼ばれています「(松尾神社の)元権現の石祠」や「草場の二体仏」などがあります。

 松尾神社そのものの詳細説明は、「福重の名所旧跡と地形」の『松尾神社』ページに書いていますので、参照願います。このリンク先ページにも書いていますが、この松尾神社は、今富町にある大神宮とともに、福重地区を代表する神社です。両神社で隔年交代で、秋のおくんち(例大祭)も開催されていて、神事の後の子ども相撲大会などは、賑わっています。

 この松尾神社は、当初、松尾権現として、1548(天文17)年に大村純前が、現在地より北方に建てました。その後、大村純忠時代にキリシタンにより破壊されましたが、1670(寛永17)年、現在地に草場郷の鎮守として再建されました。境内の広さは、約1680平方メートルあります。

松尾神社の元あった場所について
 この項目は、既に『松尾神社』ページの「戦国時代にあった松尾権現の推定位置」に詳細に書いています。ただ、今回新設の史跡説明板にも少しだけ、この件について触れていますので、概要だけ書いていきたいと思います。大村郷村記や先の項目にも既に紹介していますが、松尾神社(当時は「松尾権現」)の創建場所は、現在地ではなく、「北方だった」と記述されています。

a=現在の松尾神社、b=水神様が横にある泉、c=水が染み出している付近の田んぼ (写真奥は大村湾)
水神様と泉(写真:右下側の黒く見える所)

 そして、その場所は、どこだったのか草場町の古老の話や様々な条件を考え、私は探してまわりました。福重、松原など丘陵地帯にある神社仏閣(跡)は、どこも共通項があります。それは、「(大村の歴史)古墳と神社仏閣の場所」ページ詳細に書いてる通りです。

 そのページに書いています条件から特に、「1)周辺が穀倉地帯であること。 2)見晴らし(眺望)が良い所であること。 3)泉や川が近くにあること。」などは、当時の「松尾権現」創建場所を考える上で、大事な要素と思いました。

  そのことをヒントに探したところ、現在地から東北東方向へ約300m行った場所にたどり着きました。(右側上から2番目の2枚並びの写真参照) 左側写真のbc周辺は、先の条件にぴったり合致していました。特に、清水が湧き出ていて、さらに見晴らし(眺望)が良い所でした。

 何か遺跡と遺物が発見されればいいのですが。まだ、それは見つかっていませんので、あくまでも一つの推定場所として、ご了承願います。この泉や田んぼは、(通称)レインボー道路(広域農道)から、下側(西側)方向で約10mの地点になります。

史跡説明板の内容
 右側上から1番目写真の中央部に写っています松尾神社の史跡説明板には、下記< >内の文章が書いてあります。(右下側の説明板の画像参照) 原文は縦書きですが、ホームページ上、横書きに直しています。また、見やすくするために改行、行間なども一部変えています。

松尾神社の史跡説明板内容(PDFデータより加工)

  なお、この史跡の詳細説明は、「福重の名所旧跡と地形」の『松尾神社』紹介ページなどから参照願います。

  < 松尾神社
 松尾神社(まつのおじんじゃ)は今富町にある大神宮と同じく旧・福重村(現・福重地区)の氏神である。大村純前(すみあき)が天文一七(一五四八)年、松尾権現として現在地より北方に建てた。

 その後、大村純忠時代にキリシタンにより破壊された。寛永一七(一六四〇) 年、現在地に草場郷の鎮守として再建された。境内の広さは約七九〇平方メートルである。

  明治時代の初め松尾神社と名前を改め、明治七(一八七四)年から 今富の大神宮とともに福重村の氏神となり、一年交代で秋季例祭をおこなっている。

 松尾神社は「酒の神様」でもあり、重井田町の御手水の滝=通称「裏見の滝」から水を汲み、酒を造っていたとの古記録もある。

 社殿は大正一三(一九二四)年に改築された以降風雪に耐えて いたが、痛みが激しいため、八〇年ぶりに新しく建て変えられ、二〇〇四年秋に完成した。

二〇一六年三月一日  草場町内会・福重地区活性化委員会  >

補足


(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)


・詳細な関係ページ:「福重の名所旧跡と地形」の『松尾神社

(初回掲載日:2016年5月18日、第2次掲載日:5月20日、第3次掲載日:5月21日、第4次掲載日:5月23日、第6次掲載日: 月 日) 


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