本庄渕(本城渕)の紹介
まず、この渕の位置関係ですが、寿古公民館(直ぐ南西側に寿古公園がある)から郡川右岸の土手の道路を約150m南西側へ行くと川の中にあります。江戸時代編纂の(大村)郷村記・第二巻(活字版なら106ページ)に、この渕は下記「」内の太文字の通り、記述されています。その現代語訳は下段の青色の太文字通りと思われます。
「 一 本城渕 長キ五拾三間横七間深壱問三尺六寸 」
上記の現代語訳:
本城渕 長さ約96m、横幅13m、深さ約1m10cm
ここの堰は基本的には古代から変わっていないのでしょう。ただし、郡川の氾濫や水害も数多く発生している関係上、あくまでも上記の数値は、(大村)郷村記の編さん当時のものと言えます。江戸時代よりも、近代になり沖田町側の河川敷が広がってきた経過があると思われます。
さらに、現在は可動式の堰となり、堰の高さ0.87m×長さ29.00m×2門(合計58m)です。ただし、堰部分を含めた川幅は、約64mです。また、水が溜まった状態での上流から堰までの長さは、200m近くあると思われます。
ここは、郡川が直角に曲がった形状の所ですから、本庄渕(本城渕)全体が大きく見えます。この渕の両岸(寿古町側と沖田町側)には、河川敷があり、河川改修工事前までは、菜の花などが季節になると一面に咲いてもいました。(2013年)現在も河川改修工事中ですので、今後、堰や堰周辺も変わる可能性もあります。
補足
先の項目でも書きました通り、江戸時代の(大村)郷村記内容でも、現在も土手から良く見える本庄渕(本城渕)の堰や渕は、けっこう大きいものです。しかも、この周辺は、郡川が直角に曲がる所なので、水害その他で先人の苦労は並大抵でなかったことが容易に推測できます。
水利の確保は、米の収穫=農家の収入に直結する大事なものです。このことは、現在も大昔も変わらなかったことでしょうが、とりわけ農業中心だった頃は、比重がさらに大きいものでした。(2013年)現在も、水害などに備え、郡川は河川改修工事が進んでいます。この堰も含めて周辺も工事によって良くなるのでしょう。
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(写真6) 本城堰のプレート。可動堰のみの大きさ上記通り。
ただし、川幅は上記の堰含めて約46mある。) |
できれば、郡川の水害などは二度起こらず、この堰の出来た当時から寿古の農業を支え続けた役割を今後も果たして欲しいと願わずにいられません。閲覧者の皆様、郡川の土手道ウォーキングもいいですし、遠望の景色の素晴らしさも機会あれば楽しまれるのは、どうでしょうか。
・可動堰について
現在の本城堰(本庄堰)は、従来の固定式(石垣)から可動堰(可動式の井堰)となっています。(写真1、2、3参照) その本城堰の設置年や大きさなどは、(写真6の)竣工プレートの通りです。改めて、このプレート引用して、下記に、その内容(概要)を太文字で書いています。
本城堰
・設置年月:2015年1月
・堰の高さ0.87m×長さ29.00m×2門(合計58m)
・ただし、上記の堰部分を含めた川幅は約64m。
(初回掲載日:2013年5月28日、第2次掲載日:2013年6月4日、第3次掲載日:2013年5月9日、第4次掲載日:2020年7月18日、第4次掲載日:2021年6月2日、第5次掲載日:2021年8月19日、第5次掲載日:2021年9月17日)
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