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写真が語る福重の歴史や人
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郡中学校・野球部
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大村市立郡中学校・野球部 今回紹介しますのは、大村市立郡(こおり)中学校・野球部創部頃の写真です。(掲載しています写真の提供は、今富町の熊さんです) まず、郡中学校の開校から少し述べます。1947(昭和22)年4月1日、戦後の学校改革により郡高等実業青年学校に大村市立郡中学校を新設されてからスタートしています。場所は、長崎県大村市沖田町です。 戦前、この地には、海軍大村航空隊の用地(草薙隊)がありました。とにかく、開校当初、学校作りに先生、生徒、保護者の方々は、本当に苦労して努力されました。また、郡中学校は、広い敷地に出来たため校舎、運動場だけでなく、畑(耕作地)もかなり広い面積がありました。
しかし、1978(昭和53)年4月1日発行の『大村市立郡中学校 創立三十周年記念誌』に少し当初のことが書かれてありました。この記念誌の記述によると、郡中学校・野球部の創立は、大村市内の中学校では、一番早かったそうです。 それは試合が迫る10日前に、当時の校長からの指示で1947(昭和22)年6月に野球部が急に創部されたそうです。最初の試合は、西大村中学校のグランドでおこない、相手チーム(大村工業高校か?)に11対0の大スコアで負けたそうです。 ただし、郡中学校の応援は、派手で他校の生徒から目を見張るほど注目され、「応援の方で有名になった」と記述されています。今回の掲載写真が、最初の試合前か後か不明ですが、どちらにしても、この写真は郡中学校・野球部創立年の夏季だと思われます。写真提供者の方含めて、ユニフォーム姿(KORI)で写っておられる方もおられます。 34名の部員が写っておられるので、創部頃にしては、けっこうな人数と思われます。(なお、ご参考までに「1947年撮影」と特定したのは、写真提供者の方が郡中学校に入学した年だったからです)また、この当時のグローブは、キャッチャーミット(前列左から3番目)の皮製を除き、ほぼ全部布製だったと言うことです。そのためか、キャッチャーミットだけ良く見えるようにして、「見てくれ!」と言っているように私には見えました。 身長は、さすがに現在より全体的に低い感じがします。しかし、ユニフォームといい、頭に白布カバーの学生帽といい、顔の表情含めて、皆さん、初めての野球部員としての誇らしさや意気込みを感じました。 (掲載日:2005年7月30日、第二次掲載・補足改定日:2020年6月15日) <参考資料一覧> |
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