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写真が語る福重の歴史や人
苗かがり
1960〜1965(昭和35〜40)年頃の苗かがり(大村市今富町)
苗かがり

 まず、見出しの『苗かがり』は、大村弁=長崎弁です。他府県の方々が、どう表現されていたか私は分かっていませんが、これは稲の「苗取り」作業の言葉です。今回写真に写っている場所は、大村市今富町の田んぼ(野田川の周辺)です。(熊さんの写真提供)

 写真中央のやや右の黒い服に見える方が、苗取り作業のスタイルです。腰をかがめて、両手で生育した苗を取って田植えしやすい(片手に持てる丁度いい)大きさに藁(わら)で束ねます。

 写真中央付近の空いた田んぼの上に、その束がひと束づつ置いてあります。この束を籠(かご)や箱に入れて、田植えの準備ができた別の田んぼに運んでいました。

 現在の田植えと言えば、ほとんどの場合、田植え機械でおこないます。農家の方は、その機械に合せて苗も育苗箱に最初から生育させて、大きくなったら(大村市内の場合)6月頃に田植えをされています。ですから、学校の運動場ほどの広い田んぼでも準備さえ整っていれば、田植えだけなら一日か数日で可能です。

 しかし、田植え機械が普及するまでは、農家にとって、この田植えシーズンは一年間の作業で最も大きな仕事でした。まず、稲の種籾(たねもみ)の消毒、もみを生育させる苗床(専用の田んぼ)の準備、もみ蒔き、生育、他の田んぼの準備=代掻き(しろかき)、苗かがり(苗取り)、各田んぼへ苗運び、田植え、水の調整など、一連の作業は繁忙を極めていました。

 また、ほとんどが耕運機などがない時代は牛馬や人力でしたから、家族だけでは足りず親戚、隣近所総出の作業でした。しかも、自分の家だけではありませんでした。ですから、当時の農作業で繁忙期と言えば、まずは田植え時季、その次に秋の稲刈り期間のことでした。

 そんな中、田植え前の準備作業の一つが、上記写真の「苗かがり」でした。私も学生時代の日曜日にやったことがあります。なかなか慣れないばかりか、要領が分かっていないので腰が痛くなる作業でした。また、曇りの日ならまだいいのですが、晴天なら田んぼに張られた水の照り返しもキツク、汗が吹き出したこともありました。

 確かにけっこうな作業だったイメージが残っていますが、ただ、この「苗かがり」は一気に一斉に植える田植えと違って、あまり動かないゆっくりした手作業でした。そのため、隣同士で雑談もできました。また、(大村弁で)「いけどき」(休憩時間)、田んぼの畦道(あぜみち)で、お菓子やお茶を飲みながらの話は、それはそれは楽しいものでした。

 また、子供でしたから、いつもは怒られていてもこの時季は褒められたりしていました。まあ人手が欲しいからか調子良く乗せられて子供でもできる作業やお使いをさせられていたのでしょうけど、子供心にこの時季の大人の繁忙は見ていましたので、それは分かっていたと思います。

 親や大人はどう思いながら作業していたか詳細分かりませんが、たぶんに「この苗が大きくなって秋には豊作になりますように。台風などの被害には会いませんように」と願ってもいたと思います。だからこそ、田植え後の稲の成長は「我が子を見るような気がする」と親戚の叔父から聞いたこともありました。

(掲載日:2006年5月27日)
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