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左側、石垣上部:菅無田の馬頭観音、奥側:矢房神社と鳥居 |
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菅無田の馬頭観音の土台の碑文(拓本作業中) |
<補足説明>
・所在地関係(地名や建立場所など)
まず、この馬頭観音のある地名=菅無田の呼称について書きます。上記のデータ表には、大村市内で一般に呼ばれている通り、「すがむた」と私は送り仮名を書いています。ただし、市内でも広い範囲で「すげむた」と呼ばれる方もおられます。私の推測ながら地名の呼称にも様々な歴史があり、今回の場合、どちらも昔から呼ばれてきたと思われます。
また、建立者名の菅無田郷は、色々な郷が一緒になって現在は宮代町です。この馬頭観音のある現在地と字(あざ)「菅無田」は隣の字のようです。そのため菅無田の馬頭観音は、建立年当時から現在地にあったのか、はたまた、どこからか運ばれてきたのか不明と推測されます。
元々、馬頭観音は、「一般に村や町(集落)の外れで道路脇に建立された」と言われてきました。この例として既に掲載中の「野田平原の馬頭観音」や「南川内の馬頭観音」などが分かりやすく、道路の横にあります。そのようなことから、この菅無田の馬頭観音のように村(郷)の中心というべき矢房神社の境内入口付近にある例は、江戸時代ならば少なかったかもしれません。
ただし、江戸時代や近代でも、神社や権現の境内にも祀られている例もありますので、「村や町(集落)の外れの道路脇」だけに建立したと一概に言えない状況もあります。この菅無田の馬頭観音建立場所について、何か記録や情報などが見つかれば、追加掲載も考えています。
・土台の碑文
右側2番目の拓本写真を参照願います。この土台にある碑文について、上記データ通り、明治三十二年十一月十九日 菅無田郷で、その現代語訳は、「(馬頭観音)を明治32(1899)年11月19日に菅無田郷で建立した」と思われます。
この碑文で注目すべきは、「11月19日」という月日です。大村市内の馬頭観音には、建立年は各々違うのですが、この月日が同じというのが多いです。一例として、同じ萱瀬地区内の「権田の馬頭観音」、竹松地区にある「黒田の馬頭観音」も「11月19日」です。あと、月違いで「19日」だけ同じも、いくつかあります。
馬頭観音と、この「11月19日」や「19日」と何か関係あるのか、現時点では調べきれませんでした。ただし、数の多さからして、何かの意味はあるのではと、推測はしています。何か分かれば、このページも追加、改訂したいと考えています。
(初回掲載日:2016年9月23日、第二次掲載日:9月25日、第三次掲載日:9月26日 )
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