第4回 福重郷土史講演会 <終了しました> |
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講師の略歴紹介 氏名:竹下 正博(たけした まさひろ) 氏 現在:佐賀県立博物館勤務(学芸員 / 佐賀県立美術館兼務) 略歴:昭和41年8月24日、長崎県東彼杵郡波佐見町生まれ(現在50歳) 昭和60年3月31日、長崎県立川棚高等学校卒業 平成元年 3月31日、九州大学文学部哲学科卒業(美学・美術史専攻) 同年10月 1日、佐賀県立博物館勤務(学芸員 / 佐賀県立美術館兼務) (後年、佐賀県文化庁文化財課勤務、放送大学・長崎大学などの講師兼職あるいは小城市や神埼市の文化財審議会委員などを歴任) 著作、論文など: <「黄檗大名 鍋島家の作善」(展覧会図録)『黄檗禅の美術』福岡県美術館・佐賀県立博物館・長崎県立美術館 1993年2月>から<組織論─制作した人々(仏教美術論集6)「滑石製の仏像」2016年6月20日>まで、論文や著作は多数。 |
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滑石製の仏像とは ・石材------大村の場合、滑石製の石は出ないので、その多くが西彼杵半島産出と思われる。 ・年代------末法思想(注1)が流行した平安時代末期に制作されたと言われている。つまり、この時期、人々は経筒(注2)に経文を入れ経塚(注3)に埋葬し、その上(もしくは中に) 滑石製の仏像を置いた。 そのため制作年代も特定されるし、まるでタイムカプセルのように、その当時の様々な事柄さえも伝えていると言われている。 (注1): 末法思想=仏教の歴史観の一。末法に入ると仏教が衰えるとする思想。日本では、平安後期から鎌倉時代にかけて流行。平安末期の説によれば、永承7年(1052)に末法の世を迎えるとした。(大辞泉より) (注2): 経筒=経塚に埋める写経を納めるための蓋(ふた)付きの容器。銅製の円筒形のものが多い。(大辞泉より) <経筒関係ページ:「大村の経筒」> (注3): 経塚=経文を経筒・経箱に入れて埋めた塚。後世まで教法を伝えようとし、また追善供養や現世利益(げんぜりやく)などを目的に平安中期から近世にかけて行われた。(大辞泉より) |
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関係ページ
・「仏の里 福重」(もくじ)ページ 、 ・「CG石仏写真 もくじ」ページ 、 ・「大村の経筒」 |
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