<開催終了。ご来場の皆様、大変ありがとうございました>
「草場の経筒その3」再発見記念 草場の経筒3個展示のご案内 |
草場の経筒3個展示のご案内 日時:12月9日(日)、10日(月)、11日(火) 9時〜17時 場所:福重地区住民センター(2階)・大会議室 (最下段の地図などを参照) 主な内容: ・「草場の経筒その1、その2、その3」の3個を展示(実物) ・他に滑石製平安仏(単体仏)の写真10枚の展示など 主催・説明者:上野盛夫 (メールは、このページから、どうぞ) <概要説明> (下段の参考資料も参照願います) “約900年前の経筒は何を語っているのか” 古代のタイムカプセルとも言われている経筒とは 今年(2018年)10月16日、大村市草場町で「草場の経筒その3」が、再発見されました。(「その1、その2」は従来から確認済み) この経筒は、ほぼ造られた当時そのままの加工痕(かこうこん)も残る貴重なものです。石材は、滑石(産地は西彼杵半島と推測)です。この石をくり抜いて筒を造り、中にお経(経典)を入れていたものです。 それは、なぜか? 末法思想が平安時代末期から鎌倉時代に流行し、同時期に発生した数々の天災、飢饉、戦乱と相まって人々は末法の世の到来ではないかと不安に脅え(おびえ)ました。そのため、56億7000万年後の未来の世に仏となってこの世にくだり、人や命あるものを救済するという弥勒菩薩(みろくぼさつ)の出現まで経典を残そうと考えて経塚に経典を入れた経筒を納めました。 (右下側の経塚の想像図を参照)
ただし、残念ながら経典は残っていませんが、この経筒は、平安時代末期頃の様々な事柄を語っている、あるいは古代史解明の一助ともなりうるものです。さらに、現在生きる者へも何かを語りかけてもいます。 皆様、この機会に、ご覧になることをお勧めいたします。 ・関係ページ:「大村の経筒」 、 「如法寺跡」(大村市草場町) 、「弥勒寺跡」(大村市弥勒寺町) 、「御手水の滝の経筒発見記念碑」(大村市 立福寺町) | ||||||||||||||
参考資料:経筒・経塚・滑石製平安仏(単体仏)の参考資料
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下記項目の年代は、全て末法思想が流行した平安時代末期から鎌倉時代のことである。 ・末法思想=末法に入ると仏教が衰えるとする予言的思想。中国では隋代頃に流行し、三階教や房山石経を生んだ。日本では平安後期から鎌倉時代にかけて流行し、人々を不安に陥らせる一方、仏教者の真剣な求道を生み出した。(広辞苑より) ・経筒=経典を入れて経塚に埋めるために用いる筒。多くは円筒形・六角形・八角形で、青銅製・金銅製・鉄製・陶製・石製。筒の周囲に多くは埋経の趣旨が刻される。(広辞苑より) <経筒関係ページ:「大村の経筒」> ・経塚=経典を永く後世に伝えるため、経筒などに入れて地中に埋め納めて塚を築いたもの。上に五輪塔などを建てることもある。経石・瓦経なども埋納する。。(広辞苑より) ・滑石製平安仏(単体仏)=この単体仏は滑石でできている、その滑石は大村の場合、距離との関係から西彼杵半島(にしそのぎはんとう)産出の石材と推測される。この単体仏は信仰、あるいは経筒が埋まっていることを示す目印から、経塚の上に乗っていたといわれている。なお、ご参考までに、大村(福重と松原地区)は経塚の上に乗っていたのは滑石製平安仏(単体仏)だが、全国では上記の広辞苑の解説通り、五輪塔などの石塔類、その他の例もある。 <滑石製平安仏の関係ページ一例(下記写真の)「石堂屋敷の単体仏A」 「石堂屋敷の単体仏B」 「石堂屋敷の単体仏C」> |
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滑石製平安仏(単体仏)の一例 (大村市弥勒寺町にある左から)「石堂屋敷の単体仏A,、B、C」 | ||||||||||||||
福重地区住民センターの地図 | ||||||||||||||
・関係ページ:「2018年12月9日、10日、11日開催の草場の経筒3個展示の感想・意見など(概要報告)」 「2018年12月13日、福重小学校・図書室で草場の経筒3個展示(概要報告)」 「2018年12月18日、郡中学校・図書室で草場の経筒3個展示(概要報告)」 |
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