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(2018年度)福重小学校・郷土史クラブ(福重の石仏の講話)
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福重小・郷土史クラブで講話中(担当:上野)

福重小学校・郷土史クラブ(福重の石仏の講話)
日時:2018年9月11日14時55分〜15時40分
場所:福重小学校・教室
出席:全体12名(児童は10名、先生2名)
講師:上野が担当(右上側写真は講話中)

主な内容:福重の石仏
 下記(かき)は、話した内容(ないよう)の概要(がいよう)です。主に配布資料(はいふしりょう)(写真を中心とした)モニター用スライド約20枚、A3サイズ展示用写真(てんじようしゃしん)5枚をもとに話しました。私は、講話(こうわ)の最初から、「石仏の里・福重」とも呼ばれているし、長崎県内でも、これだけ古い石仏の数(かず)や、種類(しゅるい)が沢山あって、狭い(せまい)地域(ちいき)に、まとまってあるは、めずらしいということを話しました。そして、10月、11月の郷土史クラブでは、石仏のあるところの見学(けんがく)もしましょう、その方が分かりやすいですとも話しました。

みろくじ町、ふどうみょうおう(不動明王)
 
福重町にある せんこく石仏 
1)石仏(せきぶつ)とは
(1)石にほられた(彫られた)仏像(ぶつぞう)=仏様(ほとけさま)のこと。
(2)福重は全部(ぜんぶ)に自然石(しぜんせき)に、ほられて(彫られて)いる。

2)福重の石仏のとくちょう(特徴)

 (1)古い石仏が多い(おおい)、約30体。
 古い石仏は、1574(天正2)年よりも前(まえ)につくられたもの。1180年ころからの石仏もある。

 (2)古い石仏が多くあるのは、長崎けんない(県内)で、めずらしい。福重だけともいえる。

 (3)分からないことも多い。

3)石仏の種類(しゅるい) 
 (1)線(せん)で、ほられた(彫られた)石仏を、せんこくせきぶつ(線刻石仏)という。 大村の石は割れ(われ)やすいので、せんこくせきぶつ(線刻石仏)が多いとおもう。

 (2)かっせきせい(滑石製)の石仏。 これは、西彼杵半島(にしそのぎはんとう)の石である。

 (3)レリーフタイプ=ちょうぞう(彫像) 大村の石では、少ない。

<質疑応答(しつぎおうとう)
 Q1:「福重のあゆみ」の本に、「上八龍の線刻石仏(かみはちりゅうのせんこくせきぶつ)」は、「13〜14世紀(せいき)にできた」とかいてあるが、どうして分かったのか?
 A1:記録(きろく)が何もないので、正確(せいかく)には、分からない。ただし、仏像(ぶつぞう)の専門家(せんもんか)が、石仏の形などを見れば大体(だいたい)の年代(ねんだい)ながら分かる。この石仏は、もっと古いと、おもわれる。

 Q2:誰(だれ)が石仏は、つくったのか?
 A2:記録(きろく)がないので、福重の石仏は、全部(ぜんぶ)誰(だれ)がつくったのか、分からない。

 Q3:石仏は、どこにあるのか?
 A3:資料(しりょう)の地図(ちず)を見て下さい。古い石仏は、みろくじ町と福重町が多い。あとは、一体づつくらいで草場町、今富町、野田町などにある。
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 最後(さいご)に児童代表から、「上野さんには、クリアファイルや、長崎大学のシャープペンシルをもらったり、福重の石仏のことについて教えて頂き、ありがとうございました」との感謝(かんしゃ)の言葉がありました。私の方こそ、良く聞いてもらって感謝(かんしゃ)いたします。。出席(しゅっせき)された皆様(みなさま)、おつかれさまでした。

次回の福重小・郷土史クラブは、10月16日で、弥勒寺町にある石仏の見学(けんがく)予定>
福重の石仏だいひょうれい(代表例)
草場町にある かっせきせい石仏 福重町にある かっせきせい石仏
みろくじ町、シュシュにある せんこく石仏 みろくじ町、清水にある せんこく石仏
みろくじ町にある ぶっとう(仏頭)その1 みろくじ町にある ぶっとう(仏頭)その2
野田町にある ろくじぞう(六地蔵) みろくじ公民館近くにある せんこく石仏(一番大きい)


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