(2018年度)福重小学校・郷土史クラブ(福重の石仏の講話) |
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福重小学校・郷土史クラブ(福重の石仏の講話)
(1)石にほられた(彫られた)仏像(ぶつぞう)=仏様(ほとけさま)のこと。 (2)福重は全部(ぜんぶ)に自然石(しぜんせき)に、ほられて(彫られて)いる。 2)福重の石仏のとくちょう(特徴) (1)古い石仏が多い(おおい)、約30体。 古い石仏は、1574(天正2)年よりも前(まえ)につくられたもの。1180年ころからの石仏もある。 (2)古い石仏が多くあるのは、長崎けんない(県内)で、めずらしい。福重だけともいえる。 (3)分からないことも多い。 3)石仏の種類(しゅるい) (1)線(せん)で、ほられた(彫られた)石仏を、せんこくせきぶつ(線刻石仏)という。 大村の石は割れ(われ)やすいので、せんこくせきぶつ(線刻石仏)が多いとおもう。 (2)かっせきせい(滑石製)の石仏。 これは、西彼杵半島(にしそのぎはんとう)の石である。 (3)レリーフタイプ=ちょうぞう(彫像) 大村の石では、少ない。 <質疑応答(しつぎおうとう)> Q1:「福重のあゆみ」の本に、「上八龍の線刻石仏(かみはちりゅうのせんこくせきぶつ)」は、「13〜14世紀(せいき)にできた」とかいてあるが、どうして分かったのか? A1:記録(きろく)が何もないので、正確(せいかく)には、分からない。ただし、仏像(ぶつぞう)の専門家(せんもんか)が、石仏の形などを見れば大体(だいたい)の年代(ねんだい)ながら分かる。この石仏は、もっと古いと、おもわれる。 Q2:誰(だれ)が石仏は、つくったのか? A2:記録(きろく)がないので、福重の石仏は、全部(ぜんぶ)誰(だれ)がつくったのか、分からない。 Q3:石仏は、どこにあるのか? A3:資料(しりょう)の地図(ちず)を見て下さい。古い石仏は、みろくじ町と福重町が多い。あとは、一体づつくらいで草場町、今富町、野田町などにある。 ----------・・・----------・・・----------・・・ 最後(さいご)に児童代表から、「上野さんには、クリアファイルや、長崎大学のシャープペンシルをもらったり、福重の石仏のことについて教えて頂き、ありがとうございました」との感謝(かんしゃ)の言葉がありました。私の方こそ、良く聞いてもらって感謝(かんしゃ)いたします。。出席(しゅっせき)された皆様(みなさま)、おつかれさまでした。 <次回の福重小・郷土史クラブは、10月16日で、弥勒寺町にある石仏の見学(けんがく)予定>
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