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2023年5月1日、福重小学校4年生、5つの伝統芸能の講話(概要報告)
(写真2) 2021年、大村秋祭りの沖田踊
 (写真3) 2022年の大村秋祭りの黒丸踊
 (写真4) 2018年 第100回記念 福重地区敬老会での立福寺の龍踊り
 (写真5) 2011年 第93回福重地区敬老会での今富浮立の記念写真  

(写真6) 手前側は4年生、奥中央は上野が講話中 

(写真7) 2020年、大村秋祭りの寿古踊の道行 
(写真8  2020年、大村秋祭りの寿古踊の傘鉾
(写真9) 2022年の大村秋祭りの黒丸踊
(写真10) 立福寺の龍踊り
 (写真11) 2018年 第100回記念 福重地区敬老会での今富浮立
(写真12) 寿古踊
(写真13) 楽器の鉦(かね)、太鼓。、太刀、小太刀など(沖田踊)
(写真11) 立福寺の龍踊りの銅鑼(どら)
「安政6」(1859)年の年号あり (164年前)

福重小学校4年生、5つの伝統芸能の講話(概要報告)
日時:2023年5月1日 08時10分〜08時55分
主な講話内容:5つの伝統(郷土)芸能<5つの でんとう(きょうど) げいのう>
場所:福重小学校・体育館
参加:58名(児童56名、先生2名含む) <ご参考までに、(2023年4月11日現在で)福重小学校の全児童数は367名。内4年生は2クラスで64名
講話担当者:上野(福重郷土史同好会)
 注:写真の掲載順は順不同であり、写真整理番号には特に意味はない。

<5つの伝統(郷土)芸能>
 今回、2ページの資料と映写スライドなどを使って、5つの伝統(郷土)芸能について、主に各踊りの歴史(れきし)や、特徴点(とくちょうてん)を講話しました。下記(かき)からは、その内容(ないよう)です。

5つの伝統(でんとう)郷土(きょうど)の踊り(おどり)とは
 1) 寿古踊(すこ おどり)---------寿古町
 2) 沖田踊(おきた おどり) -----沖田町
 3) 黒丸踊(くろまる おどり)-----黒丸町
この3つの踊りは、郡三踊り(こおり3おどり)とよばれている
 4)立福寺の龍踊り(りふくじ の じゃ おどり)-----立福寺町
 5)今富浮立(いまどみ ふりゅう) -----今富町

5つの踊り(おどり)の歴史(れきし)
郡三踊り<1)寿古踊、2)沖田踊、3)黒丸踊>---
500年以上(いじょう)前(まえ)からある踊り
 ・三踊りとも国重要無形民俗文化財(くに じゅうよう むけい ぶんかざい)---国の宝物(たからもの)みたいなもの
 ・沖田踊、黒丸踊---ユネスコ世界遺産(せかい いさん)
4)立福寺の龍踊り---1859(安政6)年 (164年前)
5)今富浮立--1925(大正14)年からか?(98年前)

郡三踊りは、よく踊られている 
 (1)江戸時代(えどじだい)は、玖島城(くしまじょう)だけで、おどられていた。
 (2)戦争(せんそう)中の40年間は中断(ちゅうだん)。戦後(せんご)に復活(ふっかつ)した。
 (3)大村市の春(はる)、秋(あき)まつりなどで3年ごとに交代(こうたい)して踊られている。

郡三踊りを教(おし)えた人は
 ・記録(きろく)があるので沖田踊黒丸踊は、法養(ほうよう)である。
 ・寿古踊は記録がないが同じ法養といわれている。 
 *郡三踊りは3つの踊りで一つの踊りともいわれている。

郡三踊りの内容(ないよう) 
*くわしくはDVDを見てね。ほぼ共通(きょうつう)しているのは
 (1) 道行(みちゆき)からはじまる。
 (2) 本踊り(ほん おどり)がある。
 (3) 踊り、歌(うた)、楽器(がっき)、まわりの人ふくめてである。
 (4) 昔(むかし)は農家(のうか)の長男(ちょうなん)=大人(おとな) が踊っていたが現在(げんざい)は子どもが踊っている。

郡三踊りの楽器(がっき) たとえば沖田踊の場合
 ・太鼓(たいこ) ・笛(ふえ) ・鉦(かね) など

-------<各踊りの特徴点(とくちょうてん)>-------
寿古踊(すこ おどり)
 ・郡三踊り(こおり3おどり)の中で、もっとも古い踊りで、ゆったりとしたお祝い(おいわい)の踊り。
 ・長崎県内(ながさきけんない)でも古い踊りである。

沖田踊(おきた おどり)
 ・九州では、珍(めずら)しい長刀踊り(なぎなた おどり)
 ・太刀(たち)、小太刀(こだち)でも、むかいあう

黒丸踊(くろまる おどり)
 ・目立つ(めだつ)4つの大花輪(おおはなわ)がまわる。
 ・この花輪の下に入ると、幸福(こうふく)があるという。
 ・長崎・佐賀県では大花輪での踊りは珍(めずら)しい。
 ・楽器(がっき)の一つに三味線(しゃみせん)があるのは郡三踊りでは、この黒丸踊のみだ。

立福寺の龍踊り(りふくじ の じゃ おどり)
 ・踊り(おどり)の由来(ゆらい)は、この町に昔(むかし)龍福寺(りゅうふくじ)があったので寺名(てらめい)から。
 ・龍(じゃ)は重たいので大人(おとな)の人が、まわす。
 ・雨(あま)ごいの意味(いみ)や、豊作(ほうさく)の願い(ねがい)から。

今富浮立(いまどみ ふりゅう)
 ・浮立(ふりゅう)の順番(じゅんばん)は、ノボリ、サラサ、かけ打ち、笛(ふえ)、大太鼓(おおだいこ)、モラシ、鉦(かね)などがある。
 ・面(めん)をつけた大人(おとな)、子どもも踊る。
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質疑応答
 (5つの踊りの録画DVDを見ていない中での下記のQ&Aである)
 Q1:今日は5つの伝統芸能だが、大村市内には、いくつあるのか? 他の踊りの名前(なまえ)は?
 A1:市内では、10から20近くの郷土芸能があると思われる。今でも、たとえば水主町(かこまち)コッコデショ、下鈴田浮立(しもすずたふりゅう)などが踊れている。また、今は踊れていないが、この福重でも重井田浮立(しげいだふりゅう)野田の鍬踊り(のだのくわおどり)野田の新地節(のだのしんちぶし)などが踊れていた。

 Q2:沖田踊で、なぜ刀を持って踊る理由は?
 A2:ぜ、長刀(なぎなた)や太刀(たち)などを持って踊るのかまで書いてある本は、すぐには見つからない。調(しら)べたい。ただ、郡三踊りが、3つの踊りで一つの踊りなので、一番目の寿古踊が、ゆっくりした踊りなので、2番目の沖田踊は変化をつけた踊りではある。

 Q3:今富浮立は、なぜ子どもだけでなく、大人も踊っているのか?
 A3:踊り保存会の方に聞いてみたい。ただし、郡三踊りも他の踊りでも、はじめは大人だけの踊りが多かった。しかし、大人で踊れる人が少なくなり、だんだんと子どもに変わってきた。今富浮立も、それと、にたところがあるのかもしれないが、まだまだ、大人の人で踊れる人もいるということでもある。

4年生からお礼
 最後(さいご)に、4年生全員から元気な声で、お礼がありました。
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<上野の感想>
 伝統芸能(でんとうげいのう)郷土芸能(きょうどげいのう)は、無形文化財(むけいぶんかざい)といわれていることでも分かるとおり、踊っている一時(いっとき)をのぞき、建物(たてもの)や石仏(せきぶつ)のように、ずっと見れない。そのため、伝統芸能を勉強(べんきょう)するとなると、その幅(はば)は広く、奥(おく)も深い(ふかい)。そのようなテーマながら今回の4年生は、大人が思(おも)いつかないような疑問(ぎもん)、質問(しつもん)があったことは、素晴(すばら)しいことだと感(かん)じた。このようなことから毎回(まいかい)、私は、逆(ぎゃく)に子どもたちに教えてもらっていると思っている。
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関係ページ
寿古踊(すこ おどり) 、・ 沖田踊(おきた おどり)  、・立福寺の龍踊り(りふくじ の じゃ おどり) 、・今富浮立(いまどみ ふりゅう)  

2020年、大村秋祭りの寿古踊 、2021年、大村秋祭りの沖田踊 、・2022年の大村秋祭りの黒丸踊 、・2018年 第100回記念 福重地区敬老会での立福寺の龍踊り 、・2011年 第93回福重地区敬老会での今富浮立



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