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写真3;旧・福重幼稚園リズム室で育苗箱の説明
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写真4:比重の実験、水5リットルに塩1Kgを入れると卵が浮く
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写真5:
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写真6:
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写真7: |
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写真10: |
福重小学校5年生のモミまき(種まき)
日時:2025年6月2日10時00分~11時00分
場所:福重町、旧・福重幼稚園の園舎や広場
参加:全体(目測)で約75名、<児童:67名、他:指導員、先生・保護者・関係者など>
指導員(しどういん):沖田さんなど2名
注;掲載写真は順不同で整理番号には何の意味もない。
注;下記にも書いているが、進行や話しの項目(こうもく)は、分かりやすくするために趣旨(しゅし)を変えない範囲内(はんいない)で、順序の(じゅんじょ)の入れ替えも含めて内容(ないよう)を補足(ほそく)、太文字にしたり、まとめ直しもしている。
はじめに
福重小学校では、現在のような稲作の一貫した流れ(モミまき、田植え、稲刈り、脱穀、餅つきなど)の授業を開始して35年以上になるようです。
実は、それ以前も上野が60数年前に福重小学校にいた当時あった学校の田んぼで、田植えや稲刈りなどはしていました。ただし、今みたいな一貫した授業形式ではなく、また、5年生だけでなく多くの学年で実施(じっし)したような感じでした。
あと、今回のモミまき(種まき)は、7月初旬頃に行われる予定の田植え用の苗を育てるための一番最初の作業でした。
指導委員の沖田さんの話し
旧・福重幼稚園のリズム室で指導員の沖田さんから、次の点線内の話がありました。ただし、上野の方で分かりやすくするために、一部の順番を変えたり、太文字、あるいは補足も含めて、まとめ直してもいます。
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おはよう。今日、みんなは籾(モミ)まき(=種まき)をする。育苗箱(いくびょうばこ)にモミまきして、水をやり、稲(いね)の苗(なえ)を育ていけば、7月はじめ頃には、育てた苗で田植えができる。そして、11月はじめ頃には稲刈り(いねかり)ができるだろう。
コメ(米)の歴史(れきし)
日本のコメ(米)の歴史(れきし)は、おおよそ3000年前の縄文時代(じょうもんじだい)に中国などから北九州に伝わり、弥生時代(やよいじだい)に全国に広まっていったといわれている。
コメは穀物自給率(こくもつじきゅうりつ)100%
米(コメ)は、日本で穀物自給率(こくもつじきゅうりつ)で唯一(ゆいつ)100パーセント可能である。他の野菜なども海外から輸入(ゆにゅう)されている。日本人の主食(しゅしょく)だ。今、そのコメが不足して『令和のコメ騒動(そうどう)』ともいわれている。
長崎県のコメの品種(ひんしゅ)で多いのは
長崎県のコメでは、かつてヒノヒカリが人気だったが、近年ではニコマルが多くつくられている。暑さにも強く、おいしいコメだ。そのコメを今日は育苗箱(いくびょうばこ)にモミ(種)150グラムをまいていく。
元気な種(たね)は水に沈む
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モミまき(種まき)の順番
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補足
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5年生全員からお礼の言葉
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