田植え(たうえ)
まず、極簡単に、あくまでも現在の田植えのことについて書きますと、それは、次の「」内のことです。「田植えとは、育苗箱(注1)で育てた苗を田んぼに田植え機で植えつける作業や補植作業(注2)を言います」(右側1番目写真も参照。この田植え機は乗用式で、後方側に4条植え=育苗箱4箱分の苗を積んで植えつけ作業をしているところである)
ただし、田植え機やトラクターなどの機械類がなかった時代については、別途、後の項目(「昔の手植えのよる田植え作業」)などで触れる予定です。なお、先に掲載中の「田起こし」と「代明け(しろあけ)、代掻き(しろかき)」ページとも関係ありますので、リンク先からご参照願います。
(注1):育苗箱の大きさ(内寸)は、580m×280m×28mが多い。(この育苗箱の一箱分を田植え時には、ずっと1列に植えていく。つまり、この1列を「1条」と数える)
(注2):補植(ほしょく)作業とは、田植え機が入りにくい田んぼの隅とか、欠株(機械が植えていない、結果、苗の間隔が広く空いている)部分を手作業で植えつける、植え直す作業を一般には言う。
田植え機での作業
私のかなり大ざっぱな記憶で申し訳ありませんが、大村市内でも1960年後半頃まで田植えと言えば、ほとんど人手のみの手植えでした。田植えは、品種違いや特別な事情などを除き、どこでも短期間で一気に植えられます。そのため、各農家にとって一年間で最も繁忙で、人手が必要な時期でした。家族だけでなく隣近所や親戚も手伝う大勢での作業でした。(植えつけ面積の広い所では、十数名での作業も珍しくありませんでした)
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写真1 (4条植えの乗用式)田植え機での田植え作業(2015年6月21日撮影) |
しかも、この手植え作業は、根気の要る単純作業の連続でした。また、慣れている人でも水田に入って動きづらい、腰かがめての作業は、体の痛い時もありました。そのような作業から解放したのが、(私の大ざっぱな記憶ながら)1970年前後頃から大村市内でも登場した田植え機です。
田植え前には、機械で植えやすいように育苗箱(注1)で、苗を均等に育てておきます。そして、この一箱分を通常、田植え時には”1条”と数え、その条が多い分、田植え機の後方部分(苗を載せる台)は広くなります。
田植え機の当初の頃は、1条または2条植えの歩行式(機械の後に人がハンドルを握り植えていく方式)でした。(念のため、この歩行式は、条数は別としても改良されながら現在も狭い田んぼなどに使われている) そして、全体に田植え機は改良が格段に進み、現在4条植え〜10条植えの乗用式田植え機が全国にはあるようです。大村市内で良く見かけるのは、その中で4条植えの乗用式です。
この4条植えの田植え機で仮に長さ30m位の田んぼならば、1往復で1分強の速さです。また、育苗箱(注1)一つの苗ならば2往復分あるようです。つまり、田植え機の進歩によって、田植えそのものの大幅スピードアップが計られています。
田植え機のなかった昔ならば、例えば一町歩(約1000坪、約9900平方メートル)の田んぼ面積で、手植え方式の10人弱の作業ならば3日間程かかっていた時間は、この機械の進歩によって今では1日あればできる状況のようです。しかも、作業人員も昔ほどは、大勢必要ありません。
田植え機の操作作業だけならば、一人でも可能です。しかし、苗の交換作業、育苗箱の運搬作業さらには田植え機で植えつけた後の補植作業(注2)などのために、数名いれば作業効率が良く、かなり作業時間も短縮できます。
現在の田植えの写真一例
上記の右側1番目写真で、既に田植え機での作業を紹介しています。この写真だけでなく、現在の田植えでも様々な田植え時の作業や農機具もあります。これらの作業は、田んぼの規模や地域状況などの違いによって、大きく変わっている場合もあります。このページ写真は、あくまでも2015年6月現在、大村市内・福重地区での一例です。
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写真2:代し(しろし、柄の長いT字型)は田んぼの面を平らにする農具の一つ
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写真3:育苗箱
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写真4:苗の補充作業中 |
写真2:柄の長いT字型の農具は、大村弁と思われるが「しろし」(漢字では”代し”と推定)と呼ばれている。共通語では、「柄振(えぶり)」と呼ばれている農具である。次の「 」内のgoo辞書を参照。「柄振(えぶり)=農具の一つ。長い柄の先に横板のついたくわのような形のもの。土をならしたり、穀物の実などをかき集めたりするのに用いる。えんぶり」 大村弁の「しろし=代し」も、この辞書に書いてある通り、その形状も作業目的も全く同じである。ただし、昔は木製が多かったが、現在はアルミ合金製が一般化している。
先の項目にも書いているがトラクターが入りにくい田んぼの隅や、中央部でも地面が平らになっていない部分を平たくして、苗を田植え機(手植えも含めて)植えやすくするためのもので、現在でも良く使用されている手作業用の農具である。
写真3:育苗箱の大きさ(内寸)は、580m×280m×28mが多い。ご参考までに、数十年前までは、ほぼ全農家で箱に種をまき育成までされていた。しかし、現在はJA(農協)などで一括に育成されたのを購入されている方式も多い。当然、例外はある。私の大ざっぱな目算ながら、この1箱=1条植えで、長さ約30mを往復(つまり合計約 60m)の田んぼに苗を植え付けることができる。
写真4:写真左側の人が育苗箱から苗だけを取り出し、写真中央の人は、その苗を受け取り田植え機の後方部分(苗を載せる台)に載せているところである。右側の運転手は一連の作業を把握、最終確認して田植えを開始する。(その作業写真は、上記の写真1を参照)
重複した書き方になりますが、上記写真例プラス説明文は、あくまでも一例です。大村市内と限定しても、各地域、各農家で同じような田植え機を使用した田植え作業でも、基本作業は似ていても細部は違っている場合も見かけられますので、その点はご了承願います。
手植えによる田植え作業
この項目を書くにあたって、上野は古写真で田植え機械でない、手植えしている写真を探していました。この手作業による田植えは、上野調べながら大村では、1960年後半頃まで続いていました。それ以降は、ほぼ全部が田植え機械によろものです。
先の通り、昔ながらの手植えによる田植え作業が写っている写真は、なかなかありませんでした。その理由として、白黒写真としても当時、カメラの台数自体が少ない時代でした。また、農家は、この田植え期間中は、1年間で一番忙しい時季(超繁忙期間中)ですから、とても写真撮影などできないものでした。
そのようなことから、今回、福重小学校5年生による手植えによる田植え作業写真を掲載します。念のため、私が50年ほど前に実家(農家)でおこなっていた手作業による田植えと、育苗箱などを除き、手植えの方法自体は、全く変わりないと思います。
右側「写真5、6、7」に写っている小学生の通り、この手植え式は、腰をかがめて、片手に苗を持ち、もう一方の手で苗を植えていきます。その苗の間隔は、田植え紐(たうえひも)<15cm位の間隔(かんかく)で丸い球の付いた手植え用のひも>を目印(めじるし)に、同じ幅にして植えていきます。。
そして、一列目を全部植えたら、今度は先の田植え紐を次の列(2列目)に動かして、先ほどと同じ手植えをしていきます。この繰り返しが、ずっと続きます。ぬかるんだ田んぼの中は、足がとられてしまって、舗装道路を歩くみたいに簡単にはいきません。
私の実感ながら、それ以上に腰をかがめて、同じことの繰り返しが、なかなかの負担でした。一列ごと植えたら、田植え紐を再度次の列に設置するまで、腰をさすっていたと思います。こうした手植えによる田植え作業は、大変時間もかかりました。ちなみに、耕作地(田んぼ)面積が広い農家は、たとえ家族・親戚・隣近所総出(10人以上でも)一日で終わらず、3日とか、それ以上の日数がかかる場合もありました。
このような重労働で日数掛かる手植えによる田植え作業から農家を解放したのが、このページ最上部に「写真1」に写っています田植え機械でした。それまで、手植え式ならば10人以上で数日かかっていた田植えが、この機械の導入により1日で終わるくらいでした。
ただ、手植え式の田植は、現在の機械植え時代にない、楽しい時間もありました。それは、(大村弁で)「いけどき」(休憩時間)でした。田んぼの畦道(あぜみち)などに全員座って、なにげない話をしながら、飲み物や、おやつを食べたことです。(もう撮ることは不可能ですが、10〜20人位が畦道で談笑する姿や景色は、なかなかのものだったかもしれません)
それに10数人もいますと、必ず数人、楽しく、おもしろ可笑しく話すおじさん、おばちゃんがいるもので、しばし腰の痛みを忘れ、笑ってもいました。また、皆で同じ仕事(田植え)を、お互いに助け合っておこなっていた意義も大きかったと思えます。
田植えが全部終了すれば、誰も何も言わなくても、家族・親戚・隣近所総出でやった達成感がありました。さらには、これから苗が育ち、秋に黄金色となり収穫時期を迎える喜びも想像できました。
補足
(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)
コメ関係ページ:田起こし(たおこし) 、 代明け(しろあけ)・代掻き(しろかき) 、 田植え(たうえ) 、 稲刈り(いねかり) 、 (稲の)掛け干し(いねのかけぼし) 、 脱穀(だっこく) 、 籾すり(もみすり) 、 精米(せいまい) 、 餅(もち)つき
初回掲載日: 年 月 日、第二次掲載日: 年 月 日 、第三次掲載日:2019年7月18日