(稲の)脱穀(いねのだっこく)
まず、このページ掲載の(稲の)脱穀については、次の<>内の国語辞典を参照願います。<大辞泉より、脱穀=稲・麦などの穀粒を穂から取り離すこと>
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写真1 稲の脱穀作業(2016年10月25日撮影、野田町) |
日本で稲作が始まった頃(縄文時代末期)からは、穂先だけを刈り取って湿気のないような所に貯蔵していました。そして、食べる時は、必要量だけを臼(うす)や杵(きね)で脱穀も精米も同時におこない、その後は炊飯した言われています。
弥生、古墳、奈良時代を経て平安時代頃より、今度は、穂先だけではなく、切り株は残して稲そのものを切り取り、既に「(稲の)掛け干し」ページで紹介しています天日干し(てんぴぼし)がおこなわれるようになりました。ただし、リンク先ページ掲載写真のような稲掛け竿(いねかけざお)に掛けて干したか、どうかは定かではありません。
いずれにしても、稲刈り作業で刈り取った稲全体は、天日干しを十数日間続けて乾かした方が、多くの収穫や貯蔵にも適しているものです。そして、稲掛け竿などで乾かした後は、脱穀していました。そして、この作業を効率良く進めるために、脱穀用具として、江戸時代頃から千歯(せんば)が表れ、明治時代頃から足踏み式回転脱穀機が登場し、さらに、その後は発動機(エンジン)を用いた脱穀機へ発展していきました。
このような用具や機械は、次々と進展していきますので、その全部を紹介できませんので、ご了承願います。機械の一例とした、右側1番目写真にある脱穀機は、「20年前1995年)頃から使っている」と、私は聞きました。これは、エンジン付きで、脱穀、米袋への投下、稲わらのまとめなどが出来る機械です。なお、キャタピラーがありますので、湿った田んぼでも走行は自由にできます。
念のため、稲刈りページでも既に詳細に書いていますが、コンバイン機の登場によって、稲刈りも脱穀も同時におこなう作業形態が、現在は主流となっています。そのような状況からして、右側の写真1に見られる脱穀風景は、少なくなりつつあります。
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写真2 稲の脱穀作業(2016年10月25日撮影、野田町) |
脱穀作業
機械式の脱穀作業を説明します。上記右側写真1は、脱穀機の前側から、写真2は逆に後側から撮ったものです。この項目では、写真2の方が分かりやすいので、この写真を用いて説明します。まず、左端側の稲は、十数日間、掛け干しされたものです。
1. 左端の人が脱穀機の台に、まだコメの付いた乾燥した稲束を載せているところです。
2. 次の人は、脱穀機の調子(処理能力)に合わせて、稲束を歯車が回転している投入口に流します。この時、いっぺんに稲を流しても機械が無理をして、逆に脱穀がうまくいかないので加減が必要です。(稲束を投入した後は当然、脱穀機内部では稲わらとコメの分離作業が同時進行で続いています)
3,右端の人は脱穀(コメの分離)ができた稲わらを田んぼの所どころに積み上げていく作業です。写真1の左側も参照。 注:この機械は本来ならば、脱穀機から出てきた稲わら5〜10束程度を束ねる機能もあるのですが、この写真では使われていません。
4,写真手前側の二つのコメ袋は、脱穀機によって稲束から分離された、籾(もみ、まだ殻の付いたコメ)を貯めるものです。たいてい、左右の袋を交互に使い、袋いっぱいになれば、後で持ち上げやすいように、3,の作業で積み上げられた稲わらの上に一袋づつ置いていきます。
5,使用した脱穀機あるいは、4,のコメ袋などををトラックに載せて、自宅の倉庫に搬入すれば、ほぼ脱穀作業は終了です。後日、田んぼに置いてある稲掛け竿(いねかけざお)や稲わらを片付けます。
以上が、脱穀機を使った主な作業の流れです。なお、ご参考までに、この脱穀機械を使った作業は、やり方は様々あるのですが、最小で2人でも可能ではあります。しかし、作業効率性や時間との関係から4〜5人の方が作業しやすく、結果として短時間かつ疲れも少なくて終わると思われます。
補足
(この原稿は準備中。しばらく、お待ちください)
コメ関係ページ:田起こし(たおこし) 、 代明け(しろあけ)・代掻き(しろかき) 、 田植え(たうえ) 、 稲刈り(いねかり) 、 (稲の)掛け干し(いねのかけぼし) 、 脱穀(だっこく) 、 籾すり(もみすり) 、 精米(せいまい) 、 餅(もち)つき