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福重郷土史同好会
2019年の活動報告(7)

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上記横長写真:柴田氏の講演と聴講者の皆様(左側は実物の石塔類、また前方左右には石仏写真が掲示してある)


第5回福重郷土史講演会
(概要報告)
表題:
誰にでも分かる石塔・石仏の話
日時:2019年5月25日(土) 10時00分〜11時10分 、 場所:福重住民センター・大会議室 、 参加者(全体で):31
講師:柴田 亮 氏(大村市教育委員会・文化振興課・学芸員)

(左端側の液晶モニターを使って講演中の)柴田氏
皆様、熱心に聴講中
石塔類の説明中
石塔類の説明中
碑文入りで長崎県内最古の五輪塔(川棚町指定)
1297年(永仁5年)のもの>
下部から、地輪水輪火輪風輪空輪

講演次第
1)主催者挨拶:上野
2)講演:柴田 亮 
3)質疑応答
<展示について>
 ・実物の石塔類を展示
 ・写真展示:福重・松原の石仏写真など(約10枚、このページ下部リンク先からを参照) 

表題:誰にでも分かる石塔・石仏の話

内容:
 約1時間の講演内容を詳細に書くのは難しいので、下記は、柴田氏が作成され講演会場で配布された資料から文章部分のみを掲載しています。なお、分かりやすい図や写真などは、省略しているので、ご了承願います。あと、ホームページの制約上、内容の趣旨を変えない範囲内で補足、改行、句読点など一部を改訂したり、さらには見やすくするために文字色やサイズを変えたりもしています。

1 はじめに
 石造物の種類
――灯籠(とうろう)・板碑(いたび)・笠塔婆(かさとうば)・五輪塔(ごりんとう)・宝篋印塔(ほうきょういんとう)・石幢(せきどう)・石仏・層塔・宝塔(ほうとう)・無縫塔(むほうとう)
など
 
特徴:さまざまな種類がある。かたちに地域ごとの特徴があること。 今回は、五輪塔についてかんたんに説明し、石造物からなにがわかるのかを考えてみたい。

2 そもそも、五輪塔とは
 インド――万物を構成する5つの要素:五大(空風火水地)
 ヒトの生死も五大の離合集散と理解される。
           ↓
 五輪塔は、この五大を石塔で象徴的に表したもの。

 五輪塔のかたちを整理したのは、鹿島出身の覚鑁(かくばん)上人といわれています。現存する五輪塔の中で、もっとも古い年号が彫られているもの1169年(仁安4年)の中尊寺釈尊院五輪塔

長崎県域でもっとも古いもの
 川棚町郷土資料館に展示してある五輪塔で、1297年(永仁5年)のもの。

 全国的にみると、五輪塔はおおむね平安時代末に出現し、鎌倉時代初頭(12世紀初頭)には形が定まっていたものと思われます。

 地域によって石塔の流行は異なっていて、五輪塔が好まれる地域もあれば、地域に特色ある石塔がある地域もあります(例:国東半島の国東塔(くにさきとう)など)。

・長崎県域は五輪塔が好んで作られた地域


3 五輪塔のどこに注目するのか
1)  石質
 よくつかわれるもの:緑色片岩(産地:西彼杵半島)  安山岩(産地:佐賀県域) 特徴的なもの:花崗岩(産地:兵庫県御影(みかげ))、凝灰(ぎょうかい)岩(産地:福井県日引(ひびき)

2)  形
 基本的に年数を経るごとに、大型から小型へ変化する。 ただし、建塔する階層がからんで、複雑な変遷となる。 古手のものには、種子を持つものもある。

 地輪 古相のもの:高さと幅がある。 新相のもの:高さが低くなり、幅も小さくなる。

 水輪 古相のもの:種子(しゅじ)が4面や1面に彫られるものがある。古いものほど 文字が大きく、彫りがていねいで深い(薬研彫(やげんぼ)り)。 新相のもの:種子がなく、小型に。次第にまるみがなくなっていく。
 
 火輪 古相のもの:大きく高さがあり、やや軒がやや反る。
新相のもの:高さと幅が小さくなり、平らに。

 風輪 古相のもの:丸みを帯びて、円滑。 新相のもの:丸みがなくなり、直線的に。
 
 空輪 古相のもの:丸みを帯びて、円滑。 新相のもの:直線的になり、扁平に。


4 石塔のおもしろさと大切さ
 石塔がそこにあること
 寺や墓地がその一帯にあったことがうかがえる。寺や墓地が続いた時期や、埋葬された人の階層もうかがえる。外の地域との関係もうかがえる。造形がすばらしく、見ていて楽しい。


東光寺の単体仏(滑石製平安仏)
5 石仏のはなし
 石塔以外にも、石でつくられたものは大村市にたくさんあります。 その一つ:平安時代から鎌倉時代に造られた「石仏」(滑石製平安仏のこと) 福重・松原一帯に密集しており、計9体あります。

1)大村市の石仏の特徴
 石仏自体 : 全国津々浦々、大量につくられています。

 (1):石仏の数がすくないこと
  正確には、石仏の「残っている数がすくない」
       ↓
  1574年におきたキリシタンによる寺社の破壊
       ↓
  市内にあった寺とともに仏像なども、おおくが失われている。
       ↓
 仏教に関係する古いものが極端にすくなく、最近、市指定文化財となった(重井田町にある)八幡結社の縣仏(御正体)などがわずかな残り。

 (2):滑石をつかっていること
  滑石は、西彼杵半島でとれる特徴的な石です。爪よりもやわらかいといわれ、加工がかんたん。平安時代から鎌倉時代にかけて、石鍋として全国に流通していました。

2)滑石の石仏からわかる大切なこと
 ・大村市では、仏教についてのモノがほとんどないので、モノから追いかけることがむずかしい
 ・平安時代から鎌倉時代にかけてつくられた石仏は当時の仏教について、かたってくれる大変貴重なもの
 ・永く顕彰されるべき、市の大切な宝
 このような貴重な石仏をのこすため、現在、市の指定文化財にするための準備を進めています。

・実物の石塔類の説明
 
あと、実物の石塔類が展示してあるテーブルに全員移動して、その石塔一つひとつの説明がありました。また、他に質疑応答などもあったが、その内容は、このページでは省略しています。  (講演会概要は以上)

福重・松原の古い石仏群の一例 (現存数は30体以上ある。下記は今回写真を掲示した石仏のみである)
大村市内にある古い石仏の一例 及び 所在地
地元での石仏名称
紹介HP
 (1)石堂屋敷の単体仏A(滑石製平安仏) 弥勒寺町   石堂屋敷の単体仏A
 (2)草場の単体仏(滑石製平安仏)  草場町 草場の単体仏
 (3)上八龍の単体仏(滑石製平安仏)  弥勒寺町 上八龍の単体仏
 (4)石走の単体仏2(滑石製平安仏)  福重町

石走の単体仏2

 (5)東光寺の単体仏(滑石製平安仏)  <上野注:この石仏は松原一丁目にある> 東光寺の単体仏
上記写真
 (6)上八龍の線刻石仏 上八龍の線刻石仏
 (7)下八龍の線刻石仏 下八龍の線刻石仏
 (8)石走の線刻石仏 石走の線刻石仏
 (9)仏岩三社大明神の線刻石仏A <上野注:この石仏は松原の武留路町にある> (左に同じ)
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 第5回福重郷土史講演会に参加された皆様、ありがとうございました。またの機会も、どうかよろしくお願いします。


掲載日:2019年5月26日

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