大村空襲・戦災・戦争遺跡・記録など | 東ノ浦砲台(東ノ浦防空砲台) | 目次ページへ戻る |
中央部の「高射砲台地」が東ノ浦砲台跡を示している。その左側(北側)方向に「旧海軍病院」あり。 中央上部の青色は鈴田川、 この川の右側は広い宮崎新田、東ノ浦砲台跡の右側(南側)の白色部は大村湾である。 |
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注意:上記の地図は「放虎原は語る」(1999年3月31日発行)の付録地図を、上野がトリミングや一部彩色加工した> | ||
東ノ浦砲台(東ノ浦防空砲台)は、「放虎原は語る」(1999年3月31日、大村市発行)の付録の地図、アメリカ軍が戦後撮影した航空写真や、アジア歴史資料センター所蔵の「引渡目録 佐世保海軍警備隊 長崎県の部」を参照すると、大村市久原二丁目にあった。 (最上記の地図を参照) この場所は、現在の長崎医療センターから南南西側方向へ数百メートル下った丘陵部にあった。なお、現在は、一部の雑木林を除き、多くが住宅地になっている。 (後半部の原稿は準備中。しばらく、お待ち下さい) 東ノ浦砲台の規模や設備など (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) 東ノ浦砲台と関係ある諸事項 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) 補足 (この原稿は、準備中。しばらく、お待ちください) ・関係ページ:「皆同砲台」 「福重砲台(通称「今富砲台)」) 「野田機銃台」 「箕島砲台」 「諏訪砲台」 「東ノ浦砲台 「福重空襲」 「終戦前後の福重地区、戦跡(空襲、戦災)概略図」 「福重飛行場」 「福重飛行場跡の史跡説明板」 (初回掲載日:2024年9月27日、第2次掲載日: 月 日、第3次掲載日: 月 日、第4次掲載日: 月 日、第5次掲載日: 月 日、第6次掲載日: 月 日、第7次掲載日: 月 日、) --------------------・・・--------------------・・・--------------------・・・ <古写真や資料提供のお願い> 戦前の写真、資料類は、極力収集に努めていますが、全て上野の一人作業のため、まだまだ、少ない状況です。どなたか、ご提供あれば掲載を考えますので、どうか、ご協力願います。(メールは、このページからお願いします) |
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