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大村の自然(山、川、滝、巨岩、石、洞窟、島、景観、その他)シリーズ  坊岩(ぼうのいわ) 

坊岩(ぼうのいわ)
(写真1) 坊岩(ぼうのいわ) (写真2) (雪の日の)坊岩
(写真3) 坊岩は左側(西側)にある大きな岩。 最上部は郡岳(こおりだけ、826m)山頂。頂上には太郎岳大権現礎石跡が4個あり。
中央部やや右側尾根に太郎岳大権現の本坊跡(現在は横幅約50m、奥行約10mの平地)あり。
 
(写真4) 坊岩の頂上部から西側方向を撮影した写真。
坊岩全体が大きな一枚岩であることが分かる。
概要紹介 
 
名称:坊岩
(ぼうのいわ)
 岩の大きさ:(目測で)高さ・横幅とも約40m
 所在地:長崎県大村市重井田町、郡岳(こおりだけ、826m)の西側八合目付近
 坊岩の歴史事項の詳細ページは、「坊岩(ぼうのいわ)」から参照。

1)歴史など
 この坊岩について歴史(名前の由来)や概要は、江戸時代に編纂された(大村)郷村記に記述されています。その詳細は、「坊岩(ぼうのいわ)」ページを参照願います。ここでは、先のリンク先の現代語訳のみを次の<>内に書きます。なお、坊岩と直接関係あるのは、<>内の太文字です。しかし、これだけでは、名前の由来までは分からないので、その前の事柄も書いておきます。

 あと、後半部に「以下省略」と書いています。この省略した部分は、戦国時代の「大村純伊」逃亡記述で郡岳や坊屋鋪なども登場してきます。ただし、これらの内容は、江戸時代、大村藩の創作偽装したものと言われています。つまり、なんら関係ないと思われます。

 <坊屋敷(ぼうやしき) 
  (前略) 郡岳南側の中腹に縦9m、横36mの平地がある。ここは大昔、太郎岳権現があった頃の本坊の跡で、現在ここを坊屋敷と言う。そばにおおよそ106cmの杉の木が1本ある。ここから南東の方角に汲川といって清水がある。また、西の方に坊岩(ぼうのいわ)と言って高さ36mあまりの大きな岩がある。山の八合目くらいにあって郡村の道路から良く見える。 (以下省略) >

(写真5) 郡岳、左側の八合目付近の岩が坊岩
写真中央付近が推定の本坊跡(坊屋敷)
 
 (写真6) 郡岳の八合目(南登山道)付近にある平地
ここが推定の太郎岳大権現の本坊跡(坊屋敷)
(写真6) (郡岳の)次郎坊岩(じろうぼういわ) 
 
(写真7) 次郎坊岩三郎坊岩案内板
(郡岳の西口登山道脇)
・坊岩の名称の由来
 上記項目にも書いています(大村)郷村記の現代語訳でも、お分かりの通り、坊岩(ぼうのいわ)名称の由来は、この岩の南東方向にあった太郎岳大権現の本坊の「」から名付けられています。(写真3、5、6参照)

 なお、この坊岩から太郎岳大権現の本坊跡へ行くならば、ほぼ横移動して少しだけ下ることになります。山の合目で表現するならば、どちらも八合目付近です。

 現在は、周囲がほぼ全部、森林になっていますので太郎岳大権現の本坊跡平地(横幅約50m、奥行約10m)が、坊岩から見えにくいです。(写真6参照) 逆から見て、先の本坊跡からも坊岩が確認しにくいということです。しかし、戦後間もない頃に撮られた航空写真を見ると、先の森林が木材か木炭用に伐採(ばっさい)されたためか、見通しが良いように見えます。

 これと似たような状態が、太郎岳大権現が、仮に江戸時代に編纂された(大村)郷村記の記述内容が正しければ、「創建は(奈良時代初期の)和同年間(708〜715年)」です。その年代から、太郎岳大権現本坊から大きな岩(=坊岩)が見えていたのでしょう。だから、この「本坊」と由来として、先の岩を「坊岩(ぼうのいわ)」と、大昔の人達は呼んできたと思われます。

 私は、坊岩本坊跡も、郡岳登山の時に、10数回行きました。そして、本坊跡周囲の木々の間から、坊岩の一部が見えていました。つまり、(写真3、5)に見えている郡岳の幅広い中央尾根に太郎岳大権現の本坊があった所の西側へ行くと、今でも森林の間から一部だけながら、名称の由来と同じように「坊岩が見えている」ということです。

2)他の岩(ニ郎坊岩・三郎坊岩)との関係
 この項目について、郡岳の西口登山道脇に錆びて朽ち果てたような金属製の案内板が落ちてました。大きさは、目測で高さ20cm、横幅40cm位でした。元々は、高さ2m程の鉄パイプ上部にあったものが地面に落下したものと思われます。(写真7を参照)

 (写真7)でも少し確認できますが、、この標識に「次郎坊岩」と「三郎坊岩」という文字が見えていました。そして、二つの岩を探しました。ただ、雑木林にが囲まれているので、どの岩が、その名称か、やや分かりにくいのですが、その「次郎坊岩」と思える下側へ行き、写真も写しました。(写真6を参照) この岩の詳細は、次郎坊岩」ページを閲覧願います。

 また、この二つ岩の由来について、何かの書籍類かホームページ類に紹介されていないか調べたのですが、そのような記述はないようです。ただし、わざわざ、金属製の案内板まで製作し、何十年か前には設置されていたので、登山愛好の親睦会ではなく、公的なところが作成されたものとも思いました。

 そのようなことからして、ただ大きな岩があるから、偶然に名付けたというよりも、詳細な地図もしくは地域伝承があったから、それを参考に先の二つの名称が案内板に示されたのではと、推測もしました。

 あと、「次郎坊岩」と「三郎坊岩」という名称があるので、順番的には、「太郎坊岩と呼称されてきた岩もあるのではと思いました。それが、今回このページで紹介中の「坊岩(ぼうのいわ)」と推測されます。改めて、この「坊岩(ぼうのいわ)」=「太郎坊岩」は、先の「次郎坊岩」や「三郎坊岩」と比べても、その大きさや有名度は圧倒的な違いがあります。

 冒頭にも、その規模は書いていますが、その大きさゆえに、この坊岩は、大村市郡地区(松原・福重・竹松地区)からならば大抵どこからでも、郡岳の頂上とともに西側の八合目近くに見えています。逆に、この岩からの景色は、眼下に郡地区だけでなく遠くは大村湾、長崎空港、西彼杵半島なども見える眺望抜群の所でもあります。

 郡岳登山時、その頂上とともに、この坊岩は眺めが良い所なので、登山者に人気があります。高い断崖絶壁の岩なので注意しつつも、撮影スポットとしても抜群の場所です。

補足

  (この項目は準備中。しばらく、お待ちください)


関係ページ:大村の自然シリーズの「郡岳」 、 名所旧跡の「郡岳」、「坊岩(ぼうのいわ)」、「太郎岳大権現の本坊跡」、「太郎岳大権現礎石跡」 、 「次郎坊岩


(初回掲載日:2020年5月11日、第二次掲載日:8月3日、第三次掲載日:2021年2月9日、第四次掲載日:2月15日、第五次掲載日: 月 日)
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