大村の史跡説明板・案内板シリーズ | 延命寺跡 |
史跡説明板写真周辺の説明
<この敷地(墓地)内は一般の人の墓地とも思えない。おそらくは(大村)純治の墓地かもしれない> つまり、この<>内のことを分かりやすく書きますと、戦国時代に佐賀から大村に来た大村純治(すみはる)の墓地ではないかともいわれています。 なお、私が、たまたま、この周辺を調査していたところ、地元の方から「この延命寺跡は、元々この場所ではなく、あの小高い丘(=上記で紹介した墓碑や石塔がある場所)付近ではないかとの言い伝えがある」と聞きました。 それは、その通りで現在、十二社権現がある所より、ずっと見晴らしも良く、その話を聞いて当時は納得していました。いずれにしても、延命寺は、福重町にある妙宣寺から発見された紫雲山延命寺の標石内容=(現代語訳で)「紫雲山延命寺の創建は、天平二十年(748)年8月」であり、(郡岳にあった)太郎岳大権現とともに(大村)郷村記内容が正しければ大村市内最古級で、奈良時代創建の寺院と言えます。 史跡説明板の内容 < 延命寺跡 旧松原村北木場今山(現松原三丁目)にあった禅宗の寺院。創建年代は不明ですが、郡七山十坊の一つ。 「紫雲山延命寺縁起」によると「この寺は元来法相宗であった」とあり、その後、真言宗に宗旨替えがあり、さらに禅宗に替った。奈良時代に興った南部六宗という古い宗派の一つ。 天正二年(一五七四年)キリシタンにより破壊される。天保四年(一六四七年)この地に十二社権現が建立された。 令和三年三月三十一日 松原宿活性化協議会 > 注:既に掲載中の各史跡説明板(もくじ)で、その内容中に例えば江戸時代に編纂された(大村)郷村記などの記述や、近代、現代でも難しい用語があれば、その解説も含めて書いている場合もあります。 しかし、今回は(写真4)や上記の横書き内容でも、お分かりの通り、大変分かりやすい文章なので、補注その他は今回書いていません。 補足 現在、
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