開催日時:2014年3月26日13時00分〜17時30分
場所:弥勒寺町、上八龍の線刻石仏の前と、弥勒寺町公民館東側の熊野権現の境内
参加:17名(報道や大村市役所関係者=5名、中田石碑店・クレーン業者の工事関係者=7名、弥勒寺町内会=1名、福重地区まちづくり活性化委員会関係=1名、福重郷土史同好会=2名など)
上八龍の線刻石仏の大きさと重さ(訂正版) |
高さ |
175cm |
横幅 |
312cm |
厚さ |
27cm |
重さ |
約2トン |
注:上記の大きさは、今まで田んぼの土手にあったため地面以下が計測できなかった分も含めて再計測して訂正しています。
工事の主な内容(概要)
この上八龍の線刻石仏移転工事そのものは、地域起こし団体(福重地区まちづくり活性化委員会・観光イベントまちづくり部会)の2013年からの継続事業として、計画されていました。そして、その後、弥勒寺町内会などとも協同事業となり、今回の工事実施となりました。
(このことについては、先に掲載中の上八龍の線刻石仏移転工事前のお祓い(概要報告)ページにも書いていますので、リンク先から参照願います)
昨日(3月25日)からの雨が、26日昼まで続き、工事そのものが出来るか心配されましたが、なんとか雨も上がり、実施できました。
最初、田んぼの土手(傾斜地で作業がしにくい所)にあった大きな石(横幅312cm、高さ175cm)=上八龍の線刻石仏を朝の時間帯までに、クレーンに吊り上げる前の準備作業から始まりました。
13時過ぎからクレーン車も到着し、本格的にトラックに載せるために作業が開始されました。ゆっくりと吊り上げられました。(右側2番目写真参照) 田んぼの土手から石が、道路に一旦おろされ、その後、トラックの荷台に載せられました。そして、新たな移転先の弥勒寺町公民館東側、弥勒寺の熊野権現の境内に降ろすためにトラック移動となりました。
弥勒寺町公民館の前庭に止まったトラックの上で、石と、新たな土台を強固に繋ぐためにアンカーなどの施行もおこなわれました。そして、上八龍の線刻石仏が、再度吊り上げれられて、新たな移設先の土台にクレーンで運ばれました。(右側3番目写真参照)
土台に垂直の形で移設、安置されました。この後は、土台=コンクリート表面に、御影石を貼り付けるような作業が進められ、その完成までに、あと数日を要する予定です。
(この時、今回の工事で同時におこなわれていた弥勒寺の熊野権現(郷会場)増築記念碑移設工事の仕上げ作業も実施されました)
移設後に見学された感想など
新たな移設場所に安置された上八龍の線刻石仏を見て、工事関係者あるいは、他の見学者の中から主に次の「」内の感想が寄せられました。
「田んぼの土手にあった時には、下から離れて見ていたので大きくは見えなかったが、今回間近で見たら本当に大きいなあ」、「地面で見えなかった部分が予想以上に大きかった。特に、厚みがあつかった」、
「(地元の)弥勒寺町内でも大きな話題になるバイ」、「よそからの見学者も増えるだろう」、「やりにくい作業だったが良く仕事してもらった」などでした。
今後の史跡巡りや地域振興にも期待
弥勒寺町公民館は、直ぐ横に市道が通っています。また、公民館敷地内あるいは周辺には、自然石に彫られた線刻模様が繊細で美しい線刻不動明王像を始め、弥勒寺の熊野権現、弥勒寺の陽林、三体仏、弥勒寺跡(史跡説明板)などもあります。さらに、今回の移設工事によって、上八龍の線刻石仏も新たに加わりました。
市道横という便利な場所ですから、今後、どなたでも見学もしやすくなります。これで、史跡巡りや健康ウォーキングなどの目標物にもなるでしょう。さらには、直線で300m北側にはシュシュさんもあり、周辺の産地直売所も近くにあります。
史跡巡りや健康ウォーキングなどが終わった後に、美味しいフルーツや新鮮野菜、アイスクリームやパンその他、食べたり、お土産でも買って頂ければ、福重地区の地域振興にも繋がるのではないかと期待されています。長崎県下どこにもないような古い石仏がまとまってある弥勒寺町にウォーキングでも車でも、どちらでも構いませんが、どうぞいらっしゃって下さらないでしょうか。
関係ページ:上八龍の線刻石仏 、 弥勒寺の熊野権現 、線刻不動明王像 、 弥勒寺の陽林 、三体仏 、 弥勒寺跡(史跡説明板)
(掲載日:2014年3月27日)