最新情報 行事 福重紹介 仏の里 福小 あゆみ 名所旧跡 写真集 各町から 伝統芸能 産業 リンク
福重の写真集 その257
2014年、立福寺町老人会・郷土史講演会 (概要報告)
立福寺町老人会(立福寺公民館にて)
熊野権現の境内に移設・安置された上八龍の線刻石仏
立福寺の馬頭観音
竹松遺跡発掘事務所駐車場横にある丸形状の石垣(この石は郡川が幾多の氾濫時に運んできた証拠品。この種の石垣がある所は水害多発地帯でもあった)

立福寺町老人会・郷土史講演会(概要)
日時:2014年4月5日10時00分〜11時 00分
場所:大村市立福寺町、立福寺公民館
参加: 30名  講師:上野が担当

<主な内容>
1)上八龍の線刻石仏の移転・安置について
  初めに、今春、福重地区での大きな話題として、「上八龍の線刻石仏」の移転工事について話したい。以前までは、田んぼの土手にあったため、夏には草が腰の高さまで伸び、見学にも行けなかった。

 今回、福重の地域起こし団体と弥勒寺町内会の共同事業で弥勒寺公民館東側(熊野権現の境内)という便利な所に移転・安置された。

 補足:上記の工事概要については、 「上八龍の線刻石仏」移転工事(概要報告)ページ参 また、下記の( )内は国語辞典の大辞泉などを参照した。

  この石仏は、一見すると如来系石仏にも見えるが、断定・特定は出来ない。なぜなら石仏の姿形(線刻模様)で、特に納衣(粗末な衣のこと)の下で、拱手(中国の敬礼で両手の指を胸の前で組み合わせておじぎをすること)している姿は、むしろ神仏習合像(日本固有の神の信仰と外来の仏教信仰とを融合・調和するために唱えられた教説)の可能性もある。

 また、建立者も建立年代も正確には分かっていない謎だららけの石仏である。近日中に分かりやすい史跡説明板も設置されるので、是非、弥勒寺公民館近くに行かれた場合、見学されては、どうでしょうか。

2)立福寺の名所旧跡などについて

 立福寺町で有名な事柄は、(1)シャクナゲ公園、(2)立福寺の龍踊、(3)龍福寺跡、(4)立福寺の馬頭観音の石仏など、(5)ハウス栽培、さらには三日月堤や佐奈河内川などであろう。

 <このテーマ(1)〜(3については、既に2013年4月5日、立福寺町老人会での郷土史講演会で、ほぼ同様な話をしたので、詳細は、このページから、ご覧願いたい

補足:(4)立福寺の馬頭観音の話
 この馬頭観音は、立福寺町で良く祀られている。また、2月25日〜3月19日までナガサキピースミョウジアムで開催されていた「大村の馬頭観音写真展」で、人気があった。さらに昨日4月3日付け西日本新聞で「馬頭観音に魅せられて」の記事中でも、この馬頭観音が写真で紹介されている。

 この人気の要因は、何か? それは立福寺の馬頭観音の姿形が、大変バランス良くスマートなことと、西日本新聞の写真紹介文=「小さな馬に3人の大きな神様が乗っかり、表情もユーモアラス」とある通りと思われる。

 あと、私から、お願いだが、この像の建立年=明治17 (1884) 年11月19日で、特に「旧暦11月19日」は、市内各地の馬頭観音建立日もしくは馬頭観音祭が開催されている月日である。

 何か、この「旧暦11月19日」は馬頭観音と関係ありと思って調べたが、今まで分からなかった。情報ある方は、教えて頂きたい。

3)竹松遺跡「彼杵郡家(郡衙)の役所跡説」には疑問だらけである

 2013年6月に長崎県教育委員会から竹松遺跡についての発表があった。そして、県内ほぼ全部のテレビや新聞で、いっせいに「竹松遺跡は、彼杵郡家(郡衙)の役所跡説」=「彼杵郡家(郡衙)の竹松(遺跡中心説」が報道された。

 それによって、あたかも古代肥前国の大きな役所跡が、竹松遺跡にあったみたいに思い込んでおられる地元の方もおられる。この説は、大変疑問のあるものである。

 難しい考古学以前の問題として、あの付近は大昔から郡川による水害、洪水多発地帯だったし、遺跡の中心部に川筋まで確認されている所だ。その証拠に、遺跡中心部や周辺に、郡川が氾濫時に運んできた丸い石や石垣が長年蓄積して沢山ある。

 また、もしも仮に大きな役所跡があった場合、規模の大きい柱石や馬屋などの建物跡示す何かが出土するはずだが、現時点では、それは発掘されていないようだ。

 私は、この「彼杵郡家(郡衙)の竹松(遺跡中心説」よりも、寿古町の好武周辺に大きな役所跡があった説が有力だと思う。 (この説は、既に「彼杵郡家(郡衙)の推測地は”寿古町説”が有力」ページに、詳細に書いているので参照願いたい)

 立福寺町老人会の皆様、2年連続、郷土史講演会で話しさせて頂き、ありがとうございました。また、私の下手な話を熱心に聞いて頂き、お疲れ様でした。今後とも、よろしく、お願い致します。

関係ページ:「2013年4月5日、立福寺町老人会での郷土史講演」  、 龍福寺跡(竜福寺跡) 、 六社権現  、

関係ページ: 彼杵郡家(郡衙)の推測地は”寿古町説”が有力

(掲載日:2014年4月5日)



最新情報 行事 福重紹介 仏の里 福小 あゆみ 名所旧跡 写真集 各町から 伝統芸能 産業 リンク