大村発電所 |
写真集その4 |
役目を終えて 大村発電所
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大村発電所1号機
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九州電力・大村発電所の建設が始まったのは、1955(昭和30)年10月でした。その前に、なぜ、この大村市(当時の寿古郷、現在の寿古町)に決まったのかの概要に触れます。 まず、当時経済の好調さを反映し、九州の電力需要も急激な伸びを示した頃でした。1955(昭和30)年の総需要電力は電源換算で1,246MWと想定して、供給力が55MWくらい不足すると予測されていました。 そのような中、電源の立地状況は、当時水力発電は南九州に偏在し、火力発電は北部地区(戸畑・小倉発電所)、中部(港発電所)、東部(築上・苅田発電所)、西部(相浦発電所)などがありました。しかし、工業化が進んでいたにもかかわらず長崎地区には電源地から遠隔地になっていました。 そこで、(旧)相浦3期工事後継続して増設検討がされていましたが余地がなくて、新規の候補地として伊万里地区、大村地区が対象となっていました。 その時、当時の大村市が誘致活動に熱心で漁業補償や用地確保に尽力され、送電系統の関係により大村の方が経済的にも有利ということから、大村発電所の設置が決まりました。 また、それ以外にも、ここの地の利として九州の各炭田に陸路・海路の両方から近いこと、武雄ー長崎間の送電線に近かったことや郡川の水量豊富だったこと、灰捨地の充分な広さなどもあったようです。 1955(昭和30)年10月1日に1号機建設所が開設され、建設工事費約41億円と約2年間かけて発電所本館、煙突その他の諸施設が建設されました。1号機の運転開始は、1957(昭和32)年8月11日でした。 出力は、66,000KWで、当初の燃料は石炭でしたが、後で重油の燃焼化にもなりました。この1号機は、1958(昭和33)年5月30日から1959(昭和34)年2月9日まで256日間の連続運転の日本記録(それまで、関西電力で90日間)を作りました。 しかし、当初順調だった1号機は、その後の景気動向や九州北部地区の新たな発電所の稼動などの影響を受け、起動停止の繰り返しが頻繁になり、さらに(後のページに掲載予定の)2号機も1964(昭和39)から運転開始したため、1965(昭和40)年には、年間利用率が60%を割る状態になりました。 結局、1号機は小電力や効率の低さから1976(昭和51)年10月29日が運転最後の日となり長期の休止を経て1983(昭和58)年4月1日廃止となりました。 その後撤去工事があり、1984(昭和59)年6月30日に完了しました。この1号機の撤去工事の時、高さ91メートルの煙突のことなどについて「ノッポ煙突解体へ」の見出しの付いた報道(毎日新聞)もなされていました。
あと、建設直後の1957(昭和32)年7月に発生した諫早大水害時には発電所も浸水し付近の道路も冠水し、通勤者が帰宅できなかったことなどもありました。 以上のように大村発電所1号機は、運転開始の1957(昭和32)年から建物完全撤去まで約27年間見慣れた高い煙突や建物などとともに姿を消したのでした。 (掲載日:2006年2月8日) |
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